羽田:巨大看板の痕跡
60年代の日本映画にはよく羽田空港が登場する。またいくつかの映画には、空港に隣接する海老取川沿いの、発着する飛行機に向けた巨大な英字の看板が写されている。「Kanebo」「AIWA」「CANON」「NATIONAL」「YASHICA」と国内企業の英字広告が並ぶ。「NEW HOPE」というのもミシンなどを製造していた「ニューホープ実業」という国内企業のようだ。
これら巨大看板は海老取川沿いに面した民有地を利用して建てられており、巨大看板の陰には60年代の水辺沿いの民家の暮らしがおくられていた。河岸ぎりぎりに民家や工場が並び、それぞれに川に桟橋を突き出し舟で移動する、夜には看板のネオンが水面に映る、そんな様子が映画「喜劇 女は度胸」(1969)に描かれている。
宮田登文・横山宗一郎写真「ビジュアルブック 水辺の生活誌『空港のとなり町 羽田』」(岩波書店)には、1950年代から80年代の羽田の風景が記録されているが、58年の写真にはなかった看板が同じ場所とされる61年には林立しており、1958〜1961の間に急速に林立したようだ。
■海老取川沿い1958年 写真:横山宗一郎(前出書)
■海老取川沿い1961年 写真:横山宗一郎(前出書)
現在海老取川沿いにはほとんど巨大看板は残っていない。唯一穴守橋の上流に「ポンジュース」の看板が残っているのみだ。
これは1978年成田空港の開港に伴いほとんどの国際線が成田に移転したこと、さらに2000年「東京国際空港沖合展開事業」により海老取川寄りのB滑走路が奥まった位置に移転したことで、この一帯が発着する飛行機から見えづらくなり、広告を掲示するメリットがなくなったためと推測する。前出書の1980年の写真では看板は「「アサヒビール」「ほのぼのレイク」「チチヤスヨーグルト」などカタカナの文字が目立つようになっており、これも1978年の国際線の成田移転をうけての変化だろう。
■巨大看板群と滑走路の位置関係の変化 国土地理院空中写真 1966年、2019年を加工
しかし現在、かつての巨大看板の痕跡が残っている。民家の川側に、鉄骨で組んだ看板の枠組みが残っているのだ。
幅約8m、高さ約10m。L字の鉄骨をトラスに組んだ柱を3本建て、前面を鉄骨で水平につなぎ看板を掲示する面としている。民家は柱の間にすっぽり収まっている。1960年頃建てたものだとすれば、築60年(2024年現在)を経ており、鉄骨は赤く錆びている。しかしそこに、民家の庭に植えられたツル性の植物がからみ、巨大なトレリスのような様子になっている。訪れた時はちょうどジャスミンの花が咲き、香っていた。
■堤防沿いの道から
■正面から見上げる
■裏面
■弁天橋から
■対岸から
偶然庭に出てこられた住民の方とお話ができた。お祖父様の頃に建てたものなので、何の看板だったかなど詳しいことはよくご存じないとのこと。だが昔は家の際まで水面がきていたことなどをお話いただいた。企業との間で地代のやりとりをしていたのかとか、借地権はまだ残っているのかとか、もっと聞いてみたいことはあったがあまりに立ち入った話で初対面の方に聞く話ではないのでやめた。
■鉄骨にからむツタ
■ジャスミンが咲いていた
【吉】