映像の中にみる王子スラム
「王子バラック」で紹介したいわゆる王子スラムだが、先日60年代のテレビドラマ「特別機動捜査隊」の中にこの場所でロケをしている回を発見したので映像資料として紹介したい。
「特別機動捜査隊」はNETテレビ(現テレビ朝日)で1961年から1977年まで続いた長寿のテレビドラマだが、今回紹介するのは1965年に放映された第193話「罪と罰」。容疑者の家が王子スラム内にあるという設定で2度ほど特捜隊がここを訪れる。
今回登場する一帯を地図と記憶をもとに概念図にした。位置関係だけを表しているので距離やサイズは正確ではない。
王子スラムはその西端を台地上の区道に接していた。そこから東に向かい台地に細い帯状の谷を削りながら低地にまで降りていた。帯状の谷底の両側には木造トタン屋根の粗末な家屋が並び、中央に通路があった。途中都道455号線がこの谷をわたる南橋があり、谷の北側には当時の十条台小学校があった。
低地にでると細長い土手となって東に伸び、京浜東北線などの鉄道敷の前で一旦途切れるが、その反対側からまた土手が伸び、土手は次第に低くなりながら当時の王子中学校付近まで伸び、一般の区道に溶け込んでいた。鉄道敷の手前には区道が土手をくぐるトンネルがあった。
では特別機動捜査隊のシーンを「谷部」「土手部」にわけて紹介していこう。
【谷部】
1 南橋からみた谷部1
2 南橋からみた谷部2
南橋から谷部を見下ろすシーン。細い道の両側に木造トタン屋根のバラックが建ち並んでいる。
「王子バラック」で紹介したように、この一帯には終戦直後に都によって石神井川沿いから移住させられた在日韓国朝鮮人たちが多く住んでいたという。画像1の屋根の上には「在日朝鮮人祖国往来実現達成 一層の御支援を願います」とある。在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業は1959年から始まったが、日本と北朝鮮を自由に往来することはできなかったという。当時「祖国往来」を実現するための運動が盛んであり、この看板もロケのために据え付けたものではないだろう(この辺の事情に詳しくないので間違いがあったらすみません)。
3 南橋からみた谷部3
4 南橋からみた谷部4
谷部の全景。前方で谷が開けて低地の方が見えている。
5 南橋から谷部の全景(1〜4をつなげたもの)
1〜4の画像をつなげると、規模感を含め当時の南橋からの雰囲気がより伝わるものになった。
6 南橋から谷部へ降りる道1
7 南橋から谷部へ降りる道2
記憶にはないが、南橋の横から谷部へ降りられる道があったようだ。画像5は上から、画像6は下からのショット。
8 谷部の中央をはしる道1
9 谷部の中央をはしる道2
バラックが建ち並び、道幅2m未満の未舗装の一本道が続く。
【土手部】
10 谷部から土手の下へ1
11 谷部から土手の下へ2
谷部を抜け、土手の下にある容疑者の家へ向かう刑事。
画像10は下から、画像11は上からのショット。画像10の背景に見える建物は台地上にある当時の十条台小学校。
12 土手下を流れる水路
土手下の家の裏を水路が流れていたようだ。家の裏側に回らなかったためか。記憶には残っていない。
13 バラック外観
容疑者の家。外壁は板を打ちつけただけで、屋根はトタン葺きのようだ。
左上方に土手の上を歩く人物が写っているので家が土手下にあることがわかる。
14 バラック内部
容疑者の家。板がむきだしの内装。天井板はなく屋根は板を打ちつけトタンを葺いただけのものか。電気は通っている。前後のシーンがなめらかにつながっているし、室内だけ別の場所で撮る意味もないので現地の家屋を使っているものと思われる。
15 土手部1
16 土手部2
土手部。周囲の家と比べると土地が高くなっているのがわかる。たくさん物干し台が立っている。数は少ないが土手上にも建物が建っていたようだ。
17 土手の端部1
18 土手の端部2
土手の鉄道敷側の端。鉄道敷とはコンクリート製の柵で区切られていた。
19 鉄道敷と反対側の土手
線路越しに反対側の土手(概念図の土手部②)が見えている。
20 土手部から谷部方面を見る
土手側から谷の方を見たショット。V字型の谷や台地上の十条台小学校が見える。
21 ラストシーン1
22 ラストシーン2
23 ラストシーン3
ラスト、南橋上から望遠で刑事達を写し、谷の全景にズームアウトする。
24 トンネル
この回ではないが、「特別機動捜査隊」第156話「みだれ」では区道が土手をくぐるトンネルが写っている。トンネルのアーチの部分は現在近くのちんちん山児童遊園に保存されている。
【音無橋一帯】
25 石神井川と音無橋
第193話「罪と罰」では王子スラムのほかに王子駅付近、石神井川の音無橋一帯も写っている。現在音無橋の下は親水公園化されているが、まだあたりが深い渓谷で堰があった頃の様子が記録されている。
なお王子スラムが登場する映像作品としては1979年柳町光男監督の「十九歳の地図」が知られている。「特別機動捜査隊」はモノクロの作品で画質は悪いが、地区内をくまなく家の中まで撮影した作品としてまた貴重な映像資料と言えるのではないか。【吉】