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2002.03.15
こどもにんぎょう劇場「きつねの窓」
まず「私」がなかなか洒落た奴である。ハンチングにジャケット、マフラーが粋にきまっている。目鼻立ちもはっきりしており、女性にももてそうな奴だ。しかし人付き合いは下手そうだ。なにしろ日中林を一人散歩しているような奴である。資産家の息子が人付き合いを避け、田舎にひっこんで職にもつかず趣味の猟をしている、といったところか。林の中を「ユモレスク」を口ずさみながら歩き、空を見上げては。「そらおそろしいほどの美しさだ」と詩的なセリフを吐く。いよっ、この高等遊民。
そんな「私」が林を歩いていると、突然見知らぬ桔梗畑に出る。そこに現れたこぎつねを仕留めようと桔梗畑の中を追っていくうち、一軒の染物屋にたどりつく。染物屋の中にはこぎつねが化けた小僧が。何かを染めろという勧めになかなか応じない「私」に小僧が提案したのが、指を染めること。染めた指で窓をつくって覗くと、別の世界が見えるというのである。
ためしに小僧が染まった指で窓をつくるとあ〜ら不思議、その中には昔猟師に「『ダーン』とやられた」という母親ぎつねの姿が。この「『ダーン』とやってしまう」という表現を「私」もこぎつねもしきりに使うのが妙である。
これには「私」も興味を示し、早速指を染めてもらうことにする。持ち合わせのなかった「私」は代金として持っていた鉄砲を小僧に渡し帰途につく。
帰りながら指で窓をつくっては覗く「私」。そこには昔会ったきり会えない少女や、死んでしまった妹が見えるのだった。夕暮れの林の中で指の窓を覗いてはウフフ、ウフフと喜ぶ私。気持ち悪いから止しなさいって。
ここで昔の私と妹が家の中で踊っているのが「ユモレスク」ジャズバージョン。なぜこの曲にこだわるか。それにしてもジャズに合わせて楽しそうに踊る子供は奇妙である。
家に帰った「私」は、こぎつねにみやげにもらったキノコを食おうと思い立ち、まずは手を洗う。そう、手を洗ってしまうのである。案の定指を染めた色は落ちてしまい、色の落ちた指でいくら窓をつくっても、懐かしい風景は見えなくなってしまったのである。
迂闊だなあ。あれほどの体験をしておきながら手を洗うか君は。握手会でフカキョンと握手した夜は手を上げながら風呂に入るのがあたりまえだぞ、人として。
手を洗った「私」にも落ち度はあるが、洗って落ちるようじゃ染めたと言わんだろう、これは瑕疵担保責任の問題だ。そう考えた(嘘)私は、以来染物屋を探して林の中をめぐり歩いたけれど、とうとうあの桔梗畑も染物屋も見つけることができなかった。これはまあ当たり前で、街頭で買ったロレックスが1日で止まったから文句を言おうとしても、もうばった屋のおやじは元の場所にはいないのが普通である。
見終わった当初は全編に流れる叙情的な雰囲気にのまれて、指の窓は人生における重要な何かを象徴している、しかしそれがさっぱり表現されていないなどと小難しく考えていた。そう考えると鉄砲を置いてきた話が何の伏線にもなっておらず不可解である。結局はこれ、頭のいいこぎつねにうまいこと言いくるめられ、ただ鉄砲を奪われてしまったうっかり者の話に過ぎないのかもしれない。キノコをみやげに持たせたのも、手を洗うことを見越してのことかも。【吉】
2002 03 15 04:44 AM [人形劇/アニメ, 学校放送, 幼保の時間] | 固定リンク
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