火災を起こし炎の中燃え残る「泣く少年」の絵の謎解明へ
1985年、英国ヨークシャー州で、ロン・ホールとメリー・ホール夫妻の家が全焼したが、泣いている少年を描いた絵が無傷で見つかりイギリス中をぞっとさせた。以来火災にあった家で泣く少年の絵が燃えずに見つかるという報告が相次いだ。
今回英国のコメディアン、スティーブ・パント氏がBBCラジオ4の番組「パント・パイ」で謎を解明するために、この呪いに関する実験を行った。
<以下スティーブ・パント氏の言葉の要旨>
25年前、英国は「泣く少年の呪い」の話題でもちきりでした。火事にあった家から泣く少年の絵が無傷で見つかったという報告が英国中から届きました。
その時読んだ記事を思い出し、誰かその謎を解いた者がいるのかを調査したくなりました。
私は1枚の絵を見つけ出しました。次に1985年当時のSun紙の編集者で、泣く少年の絵を送りつけるよう呼びかけたケルビン・マッケンジーさんと、何がこの話を興味深くしているのかを話し合いました。
決定的な要因は、燃え残った絵に気づき、この絵が燃え残ったのは最初のケースではないと発言したのが、正職員ではありませんが、ヨークシャー州の消防員だったということだと思えました。
この時、泣く少年の絵は火事にまきこまれただけではなく、この絵が火事を引き起こしたという噂があることに気づきました。どうしてこうなったんでしょう。
私は絵画の専門家、ティム・マーロー氏に話を聞きました。彼は泣く少年の絵を描いた画家の名前を知っていました。戦後のヴェネチアで旅行者向けに泣く少年の絵のシリーズを描き、1981年に亡くなったブラゴリンという画家です。
それはインターネットで話題になっている途方もない話とは異なったものでした。ネット上では、この少年は両親を火事で失った孤児で、少年が物に触れずに火をつけることができる「ファイアスターター」であるという忠告を無視して画家が少年を描いたということになっています。その後画家のアトリエは火災を起こし、画家は死に、少年は逃げだしました。そして10年後バルセロナ郊外で車が衝突して炎上する事故があり、ドライバーは死亡、その免許証からドライバーがかつての少年であることがわかった、ということになっています。
この話はできすぎています。たとえ少年が火を放ったのだとしても、少年の絵が、ましてや5万枚の複製画が火を放つのとは話が違います。
しかしこの絵は本当に燃えないのでしょうか。私はワットフォードにある建築研究所(the Building Research Establishment)に行きました。そこでは研究のため様々なものを燃やしています。
結果には少し驚きました。絵のすぐ前に置かれた炎は額の周囲に燃え移ったものの、弱まって消えるまでには少年の絵の外側が燃えただけでした。しかし何故絵がダメージが少なく燃え残るかは分かりました。絵の後ろ側にあるかけひもが最初に燃えることと関係がありました。絵は前面を下にして落ちるので、煙や熱から守られやすいのです。
どうして「泣く少年」がこのような話を引き起こすかは容易く理解できます。怪談に必要な要素の全てを備えているのです。気味悪い子供、火災の多発、謎めいた画家、火災の中を燃え残る超常的な能力、そして面白い話を探す新聞社の目です。
多くの人が気味悪がりこの絵を処分したがりました。しかしマッケンジーさんは、Sun紙の呼びかけに多くの絵が集まった理由がほかにあると考えています。彼は、夫婦のどちらかがこの絵を気に入らず、絵を処分するよい機会であったからだと推測しています。
<以下画家と「泣く少年」のプロフィール>
ブルーノ・アマディオ(Bruno Amadio)は1911年に生まれ、泣く少年の絵が話題になる4年前の1981年に死亡。「ジョヴァンニ・ブラゴリン(Giovanni Bragolin)」「J・ブラゴリン」「セヴィル(Seville)」という名でも知られる。生前27枚の絵を残し、1960年から70年の間に複製画が世界中に出回った。英国では約5万枚の「泣く少年」が売られている。1985年には2,500枚以上がSun紙に送りつけられ、消防隊の監視下焼却処分された。
(The Sun:「泣く少年」の絵と1985年当時の記事あり)
絵の中心部が燃えにくいのはこの絵に限った現象なのかが検証できていないなど、すっきり解明されていないと思うが、検証したことは重要。【吉】