東急文化会館
平成14年(2002)5月、東急は東急文化会館を平成15年(2003)6月末日をもって閉鎖・解体することを発表した。解体後は東横線と営団13号線の相互直通運転のための「渋谷駅〜代官山駅間地下化工事」の作業基地として利用される。その後の土地利用についてはこの時点ではまだ決まっていない。
現在の東急文化会館およびその前のバスターミナル付近には、戦前東京市立渋谷小学校があった。本社の建設用地を探していた東急は、昭和18年(1943)、同校の移転に伴いその敷地2、550m²を東京市から譲り受けた。東急はとりあえず木造校舎を本社分室として使用していたが、昭和20年(1945)5月24、25日の渋谷を襲った空襲で全焼してしまった。
戦後この土地をハチ公前の様に不法占拠されることを恐れた東急は、「地元有力者」である大宮福之助に管理を依頼した。大宮はここにバラックを建て「渋谷第一マーケット」とした。
その後都は戦災復興事業の一環である明治通りの拡張のため、昭和28年(1953)3月を期限に渋谷第一マーケットの撤去を東急側に命令してきた。マーケット側の強い抵抗もあり、昭和30年(1955)に漸く東急は70店舗の半数以上と立ち退きの契約を成立させ、残りの半数は現在の文化村通り沿いに確保した代替地への移転で話をまとめた。
この道路用地の換地として隣接地約5,000m²を獲得し、これが東急文化会館の敷地となる。
昭和31年(1956)12月、最新の文化施設として同地に東急文化会館が開業。同時に公道上を民間企業が利用する初のケースとしてかなり物議をかもした、明治通りをまたぐ跨道橋が完成した。延床面積約30、000m²、地下1階、地上8階。
開業当時のフロア構成は以下のとおりである。このうち平成12年7月に東急ゴールデンホールが、平成13年3月に五島プラネタリウムが閉鎖している。
8F | 大社婚儀殿/東急ゴールデンホール/五島プラネタリウム |
7F | 東急ゴールデンホール |
6F | 東急名画座 |
5F | 渋谷東急 |
4F | 東京田中千代服装学園 |
3F | 理髪店/美容室 |
2F | 文化特選街 |
1F | 渋谷パンテオン/東急不動産渋谷営業所/文化三共薬局 |
B1 | 東急ジャーナル/文化地下食堂 |