空襲
東京の空襲は昭和19年(1944)11月から本格化し、渋谷の中心地域も昭和20年(1945)4月15日、5月24日、25日に被害を受けている。各日の被害状況は「新修 渋谷区史」によれば以下のとおりである。
昭和20年(1945)4月15日 昭和20年(1945)5月24日 昭和20年(1945)5月25日 |
5月25日直後の渋谷の写真を見ると、焼野原の中に東横デパートや百軒店の渋谷キネマ、道玄坂の東横映画劇場(現渋東シネタワー)などがぽつんぽつんと残されている。
この両日の空襲の様子を当時四谷に住んでいた内田百閒と、空襲の翌日に目黒から渋谷に出てきた写真家の石川光陽が日記に記している。
「5月26日 土曜日 曇小雨後晴
東横電車不通なので自転車で警視庁へ出勤、渋谷に出て驚いた。渋谷は殆ど焼野原となり、東横デパートも焼けて、宮益坂から青山1丁目まで両側は焦土と化し、死体が道路にごろごろ転がっていて、その中を多くの人が往来している。」(『東京大空襲の全記録』)
「昭和二十年東京地図」によれば、円山花街は円山坂上交番裏の一角で七、八件の待合・飲食店が被災をまぬかれ、六月一日から営業を再開していたという。
石川光陽著・写真 森田写真事務所編「グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録」岩波書店 1992.3.10
内田百閒「東京焼盡」中公文庫 1978.8.10
西井一夫・平嶋彰彦「昭和二十年東京地図」筑摩書房 1986.8.15
中林啓治「記憶の中の街 渋谷」河出書房新社 2001.9.20
渋谷区「新修 渋谷区史」1966.2.28