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2005年9月

2005.09.24

高輪台の半行き止まり坂

 高輪台と、清泉女子大のある島津山との間の谷とを結ぶ坂。幅4mほどの坂道だが、途中がフェンスでほとんど行き止まり状態になっており、ここを通行するには1mに満たない側溝の部分を通らなければならない。
 舗装の状態が良くないことからこの坂は私道と思われる。昔から使われてきた道筋を各戸が少しずつ土地を提供しあって拡幅したのだろう。しかしフェンスで囲まれた部分の地主は、例えば樹木を切りたくないなどの理由で土地の提供を拒んだのではないだろうか。 この一帯は各所に私道らしき坂が残っており、公道にはない規格外の空間が楽しい。(2005.9.24)(品川区北品川6-2-14)【吉】

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■坂の登り口

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■少し登ると行き止まり。しかし左手に狭い通り道が。

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■側溝の上を通り抜ける。幅は1mに満たない。

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■狭い区間を通り抜けると再び広くなる。美しい坂だ。

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■赤い部分が問題の区間。

<2009.12.31追記>
 かねてより坂に面したNTT高輪住宅が工事中であったが、工事完了後行ってみた。狭い部分が広がっており、狭い部分を抜けた箇所も再整備されたが、かつての趣は若干残っていた。
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2005.09.18

船橋日大前駅の怪現象

船橋日大前駅のベンチ 京葉高速鉄道・船橋日大前駅で不思議な光景を見た。
 ベンチに座って向かい側のホームを見ていたところ、向かい側のホームにあるベンチのうしろに妙な影がある。
 誰も座っていないベンチなのに、座っている人の頭の影が映っているように見えるのだ。いや、頭だけでなく、うっすらと肩のあたりの影も見える。
 こ、これは…。もしや、駅に棲む幽霊……!? いやいや、時刻は夜の8時頃。幽霊が出るにはちと早い時間帯である。
 ふと後ろを振り向くと、自分が座っているベンチのうしろにも黒々とした影が。
船橋日大前駅のベンチ2 おそらくベンチに座った人たちが壁に寄りかかった時に、頭の脂や汗が付着して出来た染みなのであろう。
 駅名を見ればわかる通り、船橋日大前駅は日大の理工学部の最寄り駅だ。日大の学生さんたちの若いエキスが灰色の壁にクッキリと跡をつけたに違いない。おそるべし日大生。あなどりがたし頭の脂。【み】

樹木に蝕まれてゆくオート三輪

 浦安市当代島の一画にそれはある。この一帯はかつて一面の田であったが、今はほぼ住宅地になっている。その一画に埋め残された土地なのだろう、沼地のようになった場所があり、時折ソファーやバイクが捨てられていたりとかなり乱暴な扱いを受けている。
 そこに少なくとも1995年以前から1台のオート三輪が棄ててある。90年代にオート三輪というだけでもかなり珍しく目を引いたのだが、さらにその荷台には1本の樹が育っていたのだ。かつてはオート三輪ももう少し原型をとどめており、樹も小さかったのだが、もはや樹は2mを超え錆びて朽ちていくばかりの車体を呑み込まんばかりである。その役割を終えたオート三輪が次第に樹木に変貌していくようにも、寄生した樹木がオート三輪を蝕んでいくようにも、植物と機械の融合体のようにも見える。

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■2004.4.22撮影

 やはり人目を引くようで、ほかにも何件かこれを報告しているサイトを見つけた。なお樹は葉の形や光沢などからクスノキだと思っていたが、冬には葉がなくなるのでそうではないようだ。(浦安市当代島3-8-46)【吉】

<追 記>
 2012年4月、一帯が整地されオート三輪も撤去されているのを確認した。【吉】

<関連記事>
緑に蝕まれる家

 


より大きな地図で 樹木に蝕まれてゆくオート三輪 を表示

2005.09.17

西麻布の井戸

 青山霊園には外苑西通りをはさんで立山墓地という離れた一画がある。その立山墓地脇に急角度で合流する面白いY字路があるのだが、その合流部に現役と思われる井戸がある。
 大通りから1本裏にはまだまだ別世界が残されている(港区西麻布2-17-1)。(2005.9.17))【吉】

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(2019.5.4追記)その後この井戸は台座を残し消滅した。またY字路の左側は暗渠化した笄川なのだが、そのあたりの詳細は「東京の水 2009 fragments」を参照のこと。

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