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2010年6月

2010.06.27

首都高速2号目黒線沿いの細道

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 首都高速2号目黒線は、‪白金台5丁目付近からJR目黒駅付近まで‬、国立科学博物館附属自然教育園沿いに地上レベルを通過している。そして自然教育園の反対側には、目黒線の遮音壁と民有地の高い塀に囲まれた幅2mほどの道が続いている。数百mにわたる溝のような空間が怖いと同時に気持ちいい。高速の遮音壁にここまで近寄れることも珍しいのではないだろうか。案外と人通りは多い。場所はここ。  なお近くには以前とりあげた昭和初期の高級住宅街「長者丸」もある。【吉】
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東京都職員白金住宅跡地

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 東京都職員白金住宅は港区白金2丁目にある、元都の職員のための住宅だ。
 2008年11月14日の建設通信紙の記事によれば、同住宅は1969年に建設、老朽化に伴う改修が検討されたがアスベストの使用などを理由に2006年廃止が決定、2008年に居住者が退去し閉鎖された。
 同記事には2009年に解体に着手するのと並行して跡地の活用の方向性を探るとしているとしているが、2010年6月現在まだ解体は始まっていないようだ。(2019.5.3追記:現在は解体は完了し、2017年東京都は「新国際高校」の建設の検討に着手した。)
 なお2000年7月には母親が娘を刺しベランダから飛び降りるという無理心中が起きている。

 約2haの敷地内には、桜田通り沿いに中層の白金住宅第1、第2があり、中央及び奥にはそれぞれ高層の白金住宅第3、白金独身寮が聳えている。白金住宅第3はそのボリュームと屋上の階段状の形状から、周囲の風景の中で異彩を放っている。

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■案内図

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■桜田通りより白金住宅第1

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■桜田通りより白金住宅第2

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■白金住宅第3の屋上

 「したらば掲示板」のある書き込みには、かつての住宅内の様子が描写されていた。
「思い出すと夏のラジオ体操や盆踊り、幼児たちが遊ぶヴィニールプール、秋の運動会などいろんなのがあった。自転車置き場があり、車を止める駐車場はあったんだ。ピロティーには八百屋のトラック、靴修理のワゴン車が来たもんだ。冬には焼き芋の軽トラックが来たのを思い出す。販売のためのトラックが来たのは懐かしい。」
 敷地内の道路に立つと、その60年代らしく造成された風景の中で営まれた人々のくらしが見えてくるようだ。

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■敷地内の道路

 しかし住民が退去して2年、団地はそのまま残っているが現在は人気のないゴーストタウンと化している。建物の入り口にはベニアが貼られ、公園には雑草が生えている。空家であることを知った上で改めて公園から巨大な建物を振り返れば、その偉容は凄みのある不気味さをもって迫ってくるのだ。【吉】

 

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■荒れゆく公園

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■ベニアが打ち付けられた入口

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