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2010年11月

2010.11.28

花房山謎の記号

 山手線沿い、目黒駅から五反田にかけ左側に広がる台地は「花房山」と呼ばれ、都内でも高級な住宅地の一つとなっている。山手線沿いに延びる「花房山通り」沿いの擁壁にこれはある。現在は空き地になっている土地の周囲の擁壁に、謎めいたメッセージが隠されているのだ。
 一つは敷地境界の石標にもみえる石の柱だ。10cm四方、高さ20cmほどの自然石の柱なのだが、敷地境界の石標であれば地面の位置に設置するだろうが、それは地面から1mほどの高さに、擁壁が若干後退した部分から伸びているのだ。表面には何かの記号が刻まれている。見方によっては丸の中に「京」の字をデザインしたものにも見える。
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「京」の石柱

 そしてもう一つは「11.3.72」という数字だ。「京」の斜め左上約1.5mほどの高さに、擁壁にこの数字が刻まれている。この数字の意味するところは何か。1972年11月3日ということか。ではなぜこの数字を刻んだのか。コンクリート擁壁の施工を記念して日付を刻む者はあまりいないだろうし、なにより刻み方がおざなりである。あるいは40年前の文化の日、何者かがひまにまかせて記念に刻んだものか。コンクリートに釘か何かで文字を刻むのは、結構大変な作業だと思うのだが…。
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「11.3.72」

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2つの記号の位置

 場所はここ。【吉】

<追 記>
平成29年完成した目黒駅前地区第一種市街地再開発事業の施行に伴い消失。

上大崎 鋭角の街角

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 白金台駅近く、自然教育園の向かいに、目黒通りに向かって鋭くくさびのように延びるこの街角はある。中央に民家をはさみ2本の道が鋭角に交わっており、その交点にある道路標示がこの「くさび」を一層鋭いものに見せている。
 さらに特徴的なのが、向かって左側の道が平坦に延びるのに対し、右側は下り坂になっている点だ。中央の民家も、下り坂沿いに入口があり、その階は半地下のような構造になっている。道路標示も左右で高低差があり、その先端まで丁寧に傾斜がつけられている。

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下り坂

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坂の下から目黒通り方向を見る

 一見して空間に歪みが生じたような錯覚をもたらす奇妙な空間だ。場所はここ。【吉】

聖心女子学院裏謎の道

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入口。右側は朝日中学校グラウンド。

 港区白金4丁目、区立朝日中学校のグラウンドと、幸福の科学・教祖殿の間から細い道が延びている。アスファルト舗装はされておらず、敷石が並ぶ道がグラウンド沿いに伸び、やがてそれは聖心女子学院とその向かいの高い擁壁に挟まれ、森に覆われた谷道になり、やがて敷石さえない土の道となり、行き止まりになって唐突に終わる。突き当たりにはフェンス越しに上りの階段が見えるが、フェンスには錠がかかっており階段を上ることはできない。その区間約200m。
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高い擁壁沿いを森の中へ…

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敷石の道が続く

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やがて土の道に

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行き止まり

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フェンスの向こうの上り階段

 この道の中程には、三光坂上へ延びる道に繋がる階段があり、時折その階段を下りてきて中学校グラウンドの方へ抜ける人の姿を見かけるが、その階段より奥はどこへも繋がっておらず、道に面する家もなく、200m中奥の100mは事実上誰も利用しない。
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三光坂から謎の道に下りる階段

 訪れたのは折しも秋が深まる11月、地上には落ち葉が一面に積もり、ガサガサと枯れ葉の音を立てながら土の道を踏みしめるのは都心では滅多に味わえない感覚だ。
 この奇妙な道の正体は東京の河川に詳しい「東京の水」によれば古川の支流で、聖心女子学院内にかつてあった池から伸び天現寺あたりで古川に合流していたようだ。途中2か所に都下水道局の管理用地である旨の立て札が立っている。
 誰も利用しない奥の100mの区間には、一体年に何人の人が足を踏み入れるのだろうか。もし何かの事情で身を隠さなければならなくなった時、ここに隠れていれば恐らく見つかることはないだろう。
 場所はここ【吉】

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