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2011年5月

2011.05.22

田端大橋・だるまや食堂

 JR山手線田端駅北口側に、新田端大橋と歩行者専用の田端ふれあい橋という2つの橋が架かっている。田端ふれあい橋は昭和62年(1987)に新田端大橋が架設されるまでは車両交通も担う現役の橋だった。
 田端大橋は昭和10年(1935)竣工、「TEAM GREEN 東田端地区の歴史」によれば、それに先んじて田端大橋に続く切り通しが昭和8年(1933)に完成し、田端駅周辺の交通環境は切り通しと田端大橋で大幅に改善したものと思われる。
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■田端大橋西側の切り通しと東台橋(2011年撮影)

 この田端大橋は歩道の途中から下へ降りる階段がついていたが、階段はトンネル状になった建物をくぐる構造になっており、そこに「だるまや食堂」という食堂があった。橋の上にある食堂とその中をくぐって降りる階段はかなり奇妙な光景だった。
 田端大橋の歩行者専用橋への改装とともに、昭和64年(1989)、だるまやはここからは無くなったが、その後橋の下に移転して営業を継続中である。

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■橋の上のだるまや食堂。真ん中の空間をくぐって橋の下に降りる階段がついていた(1983年撮影)

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■だるまや食堂から延びる階段(1983年撮影)

 「立喰そば かしやま(だるまや食堂)」のサイトによれば、この食堂が創業したのは昭和43年(1968)。だるまや食堂の看板の下にうっすら「大洋不動産」という字が見えることから、その前は不動産屋があったのだろうか。また田端駅側に「食堂」というネオンがついているが、これはいつ頃までついていたのだろうか。また看板は「だるまや支店」となっているが、本店がほかにあったのか、今後も継続して調べていきたいと思っている。【吉】

<2011.6.4追記>
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 移転先のお店の方にお話を伺うことができた。建物自体はだるまやの開業以前からあり、以前は不動産屋など複数の店舗が入っていたという。そのためだるまやには入口が3か所あった。看板が「だるまや支店」となっているのは、やはり別に本店があったからとのこと。
 お店にはこの建物の写真が掲載されている春日昌昭・佐藤嘉尚「40年前の東京」が置いてあり、新聞に載った記事とともに見ることができる。やはり当時を懐かしんで来店する客が多いということだ。
 建物についていた緑色のネオンにちなんで、新しい建物にも「食堂」というネオンが設置されていた。【吉】

 


より大きな地図で 田端大橋・だるまや食堂 を表示

 

<関係図書>
冨田均「東京私生活」作品社
「東京の産業遺産-23区-」アグネ技術センター
春日昌昭・佐藤嘉尚「40年前の東京」生活情報センター

 

<参考サイト>
立喰そば かしやま(だるまや食堂)TEAM GREEN 東田端地区の歴史

2011.05.14

王子バラック

 1980年代半ば頃まで、北区岸町の十条台小学校の南側王子本町の王子第二小学校と中央工学校の間の谷、南橋の下に、あたかも終戦直後で時間が止まってしまったかのようなバラックが密集している地帯があった。この谷は東に延び南北に延びる崖線を横切ると一転してカマボコ状の堤になり、区道をトンネルでまたいだ後京浜東北線まで続き、堤はさらに京浜東北線の反対側から区立王子小学校付近まで続いていた(Googleマップ)。 <参考リンク>
1979年航空写真(国土交通省)   
 戦時中の地形図で調べたところ、これは当時陸軍第一造兵厰(現自衛隊十条駐屯地)まで続いていた引込線の跡地であることが解った。恐らくは戦後のドサクサに家を建て、違法占拠であったため建て替えもままならずバラックのまま残った家々なのだろう。そこにある20件ほどのバラックに住む人々は、終戦直後に都によって石神井川沿いから移住させられた在日韓国朝鮮人たちだったという(下記八百川孝氏サイトによる)。なおこの廃線敷にはその後都道455号線が建設されたため、このバラック群は現存していない。ここに住んでいた人々は何処へいったのだろうか。
 現在都道の高架下には「ちんちん山児童遊園」(北区観光ホームページ)が整備され、その一画にかつて区道をまたいでいたトンネルの石造アーチが保存されている。この「ちんちん山」は当時の地元での呼称で、「北区観光ホームページ」によれば引込線を走っていた軍用列車がチンチンと鐘を鳴らしたことが由来だという。
 未確認だが、冨田均「東京私生活」(作品社)によれば、中上健次原作、柳町光男監督の映画「十九歳の地図」にこの場所がでてくるという。

 

 なおこの場所は冨田均や西井一夫の著作では「王子スラム」とされているが、そこに住む人々の生活が「スラム」(貧民窟)と呼ぶべきものだったかどうか伺い知れなかったため、少なくとも外見上判断が可能な粗末な家屋を表す「バラック」と呼び換えている。

 

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【1】王子バラック(西側)全景。上方に見えるのは建設中の東北新幹線。区立十条台小学校より。(以下写真は1982年頃撮影)

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【2】区立十条台小学校横、南橋上より。木造平屋、トタン葺の家屋。鉄・紙買い入れの看板が見える。

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【3】駐屯地側の入口。銅鉄買い入れの看板。奥に見えるのは南橋。

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【4】入口から奥へ進む。南橋下。

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【5】家屋が切れた先には築堤が続く。

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【6】堤の上は子供の遊び場となっている。トラックや回収された鉄くず。右側に堤に隣接する家々の屋根が見えており、小高くなっていることがわかる。

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【7】堤の上から南橋方向を振り返る。右上は区立十条台小学校。

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【8】さらに進んで南橋方向を振り返る。子供に「写真撮って!」と言われた。撮らなかったけど。

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【9】堤の下を区道が横切るトンネル。この石のアーチがちんちん山児童遊園に保存されている。

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【10】堤(東側)の京浜東北線側。

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【11】堤の上に上る。

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【12】堤の先は区立王子小学校付近で一般道につながる。

<参考図書>
飯田則夫「TOKYO軍事遺跡」交通新聞社
宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩くⅡ」日本交通公社
金子六郎「東京の産業遺産ー23区ー」アグネ技術センター
西井一夫「昭和二十年東京地図」ちくま文庫
冨田均「東京私生活」作品社

<関連リンク>
電脳六義園通信所「ちんちん山」
東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~「南橋大橋、ちんちん山とトンネルの石組み。」
北区・「60年目の風景」(北区議会議員八百川孝氏のサイト)
Good Old Rail「陸軍・東京第一第二造兵廠専用線」

(2000.10.11作成、2011.5.14追記)

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