田端大橋・だるまや食堂
JR山手線田端駅北口側に、新田端大橋と歩行者専用の田端ふれあい橋という2つの橋が架かっている。田端ふれあい橋は昭和62年(1987)に新田端大橋が架設されるまでは車両交通も担う現役の橋だった。
田端大橋は昭和10年(1935)竣工、「TEAM GREEN 東田端地区の歴史」によれば、それに先んじて田端大橋に続く切り通しが昭和8年(1933)に完成し、田端駅周辺の交通環境は切り通しと田端大橋で大幅に改善したものと思われる。
■田端大橋西側の切り通しと東台橋(2011年撮影)
この田端大橋は歩道の途中から下へ降りる階段がついていたが、階段はトンネル状になった建物をくぐる構造になっており、そこに「だるまや食堂」という食堂があった。橋の上にある食堂とその中をくぐって降りる階段はかなり奇妙な光景だった。
田端大橋の歩行者専用橋への改装とともに、昭和64年(1989)、だるまやはここからは無くなったが、その後橋の下に移転して営業を継続中である。
■橋の上のだるまや食堂。真ん中の空間をくぐって橋の下に降りる階段がついていた(1983年撮影)
「立喰そば かしやま(だるまや食堂)」のサイトによれば、この食堂が創業したのは昭和43年(1968)。だるまや食堂の看板の下にうっすら「大洋不動産」という字が見えることから、その前は不動産屋があったのだろうか。また田端駅側に「食堂」というネオンがついているが、これはいつ頃までついていたのだろうか。また看板は「だるまや支店」となっているが、本店がほかにあったのか、今後も継続して調べていきたいと思っている。【吉】
<2011.6.4追記>
移転先のお店の方にお話を伺うことができた。建物自体はだるまやの開業以前からあり、以前は不動産屋など複数の店舗が入っていたという。そのためだるまやには入口が3か所あった。看板が「だるまや支店」となっているのは、やはり別に本店があったからとのこと。
お店にはこの建物の写真が掲載されている春日昌昭・佐藤嘉尚「40年前の東京」が置いてあり、新聞に載った記事とともに見ることができる。やはり当時を懐かしんで来店する客が多いということだ。
建物についていた緑色のネオンにちなんで、新しい建物にも「食堂」というネオンが設置されていた。【吉】
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<関係図書>
冨田均「東京私生活」作品社
「東京の産業遺産-23区-」アグネ技術センター
春日昌昭・佐藤嘉尚「40年前の東京」生活情報センター
<参考サイト>
◆立喰そば かしやま(だるまや食堂) ◆TEAM GREEN 東田端地区の歴史