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2011.05.14

王子バラック(王子スラム)

※2025.6.14 「映像の中にみる王子スラム」を追加しました。 テレビドラマ「特別機動捜査隊」の中で王子スラムをロケ地にした作品をみつけたのでその紹介です。

 1980年代半ば頃まで、北区岸町の十条台小学校の南側の谷、南橋の下に、あたかも終戦直後で時間が止まってしまったかのようなバラックが密集している地帯があった。この谷は東に延び南北に延びる崖線を横切ると一転してカマボコ状の堤になり、区道をトンネルでまたいだ後京浜東北線・東北線等の線路敷まで続き、堤はさらに京浜東北線の反対側から区立王子中学校付近まで続いていた。

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◆1981年ゼンリン住宅地図 (着色部分が問題の箇所)  

 戦時中の地形図で調べたところ、これは当時陸軍第一造兵厰(現自衛隊十条駐屯地)まで続いていた引込線の跡地であることが解った。そこにある20件ほどのバラックに住む人々は、終戦直後に都によって石神井川沿いから移住させられた在日韓国朝鮮人たちだったという(元北区議八百川孝氏のサイトによる:サイトは消滅)。なおこの廃線敷にはその後都道455号線が建設されたため、このバラック群は現存していない。ここに住んでいた人々は何処へいったのだろうか。
 現在都道の高架下には「ちんちん山児童遊園」(北区観光ホームページ)が整備され、その一画にかつて区道をまたいでいたトンネルの石造アーチが保存されている。この「ちんちん山」は当時の地元での呼称で、「北区観光ホームページ」によれば引込線を走っていた軍用列車がチンチンと鐘を鳴らしたことが由来だという。
 中上健次原作、柳町光男監督の映画「十九歳の地図」にこの場所が写っている。またテレビドラマ「特別機動捜査隊」第193話「罪と罰」にもこの場所がふんだんに使われている。

 なおこの場所に住む人々の生活が「スラム」(貧民窟)と呼ぶべきものだったかどうか伺い知れなかったため、少なくとも外見上判断が可能な粗末な家屋を表す「バラック」と呼び替えているが、冨田均や西井一夫の著作などをはじめとして一般的には「王子スラム」と呼ばれていた。

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【1】王子バラック(西側)全景。上方に見えるのは建設中の東北新幹線。区立十条台小学校より。(以下写真は1982年頃撮影)

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【2】区立十条台小学校横、南橋上より。木造平屋、トタン葺の家屋。鉄・紙買い入れの看板が見える。

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【3】駐屯地側の入口。銅鉄買い入れの看板。奥に見えるのは南橋。いぬがいる。

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【4】入口から奥へ進む。南橋下。

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【5】家屋が切れた先には築堤が続く。ねこがいる。

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【6】堤の上は子供の遊び場となっている。トラックや回収された鉄くず。右側に堤に隣接する家々の屋根が見えており、小高くなっていることがわかる。

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【7】堤の上から南橋方向を振り返る。右上は区立十条台小学校。

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【8】さらに進んで南橋方向を振り返る。子供に「写真撮って!」と言われた。撮らなかったけど。

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【9】堤の下を区道が横切るトンネル。この石のアーチがちんちん山児童遊園に保存されている。

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【10】堤(東側)の京浜東北線側。

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【11】堤の上に上る。

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【12】堤の先は区立王子小学校付近で一般道につながる。

<参考図書>
飯田則夫「TOKYO軍事遺跡」交通新聞社
宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩くⅡ」日本交通公社
金子六郎「東京の産業遺産ー23区ー」アグネ技術センター
西井一夫「昭和二十年東京地図」ちくま文庫
冨田均「東京私生活」作品社

(2000.10.11作成、2011.5.14、2025.6.9追記)

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