« 花房山謎の記号 | トップページ | 田端大橋・だるまや食堂 »

2011.05.14

王子バラック

 1980年代半ば頃まで、北区岸町の十条台小学校の南側王子本町の王子第二小学校と中央工学校の間の谷、南橋の下に、あたかも終戦直後で時間が止まってしまったかのようなバラックが密集している地帯があった。この谷は東に延び南北に延びる崖線を横切ると一転してカマボコ状の堤になり、区道をトンネルでまたいだ後京浜東北線まで続き、堤はさらに京浜東北線の反対側から区立王子小学校付近まで続いていた(Googleマップ)。 <参考リンク>
1979年航空写真(国土交通省)   
 戦時中の地形図で調べたところ、これは当時陸軍第一造兵厰(現自衛隊十条駐屯地)まで続いていた引込線の跡地であることが解った。恐らくは戦後のドサクサに家を建て、違法占拠であったため建て替えもままならずバラックのまま残った家々なのだろう。そこにある20件ほどのバラックに住む人々は、終戦直後に都によって石神井川沿いから移住させられた在日韓国朝鮮人たちだったという(下記八百川孝氏サイトによる)。なおこの廃線敷にはその後都道455号線が建設されたため、このバラック群は現存していない。ここに住んでいた人々は何処へいったのだろうか。
 現在都道の高架下には「ちんちん山児童遊園」(北区観光ホームページ)が整備され、その一画にかつて区道をまたいでいたトンネルの石造アーチが保存されている。この「ちんちん山」は当時の地元での呼称で、「北区観光ホームページ」によれば引込線を走っていた軍用列車がチンチンと鐘を鳴らしたことが由来だという。
 未確認だが、冨田均「東京私生活」(作品社)によれば、中上健次原作、柳町光男監督の映画「十九歳の地図」にこの場所がでてくるという。

 

 なおこの場所は冨田均や西井一夫の著作では「王子スラム」とされているが、そこに住む人々の生活が「スラム」(貧民窟)と呼ぶべきものだったかどうか伺い知れなかったため、少なくとも外見上判断が可能な粗末な家屋を表す「バラック」と呼び換えている。

 

Image_5
【1】王子バラック(西側)全景。上方に見えるのは建設中の東北新幹線。区立十条台小学校より。(以下写真は1982年頃撮影)

Image1_5
【2】区立十条台小学校横、南橋上より。木造平屋、トタン葺の家屋。鉄・紙買い入れの看板が見える。

Image2_4
【3】駐屯地側の入口。銅鉄買い入れの看板。奥に見えるのは南橋。

Image3_3
【4】入口から奥へ進む。南橋下。

Image4_3
【5】家屋が切れた先には築堤が続く。

Image5_3
【6】堤の上は子供の遊び場となっている。トラックや回収された鉄くず。右側に堤に隣接する家々の屋根が見えており、小高くなっていることがわかる。

Image6_3
【7】堤の上から南橋方向を振り返る。右上は区立十条台小学校。

Image7_2
【8】さらに進んで南橋方向を振り返る。子供に「写真撮って!」と言われた。撮らなかったけど。

Image8_2
【9】堤の下を区道が横切るトンネル。この石のアーチがちんちん山児童遊園に保存されている。

Image9_2
【10】堤(東側)の京浜東北線側。

Image10_1
【11】堤の上に上る。

Image11_1
【12】堤の先は区立王子小学校付近で一般道につながる。

<参考図書>
飯田則夫「TOKYO軍事遺跡」交通新聞社
宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩くⅡ」日本交通公社
金子六郎「東京の産業遺産ー23区ー」アグネ技術センター
西井一夫「昭和二十年東京地図」ちくま文庫
冨田均「東京私生活」作品社

<関連リンク>
電脳六義園通信所「ちんちん山」
東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~「南橋大橋、ちんちん山とトンネルの石組み。」
北区・「60年目の風景」(北区議会議員八百川孝氏のサイト)
Good Old Rail「陸軍・東京第一第二造兵廠専用線」

(2000.10.11作成、2011.5.14追記)

5月 14, 2011 at 06:20 午後 ■北区□東京軍都畫報 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 王子バラック: