市ヶ谷駐屯地地下壕
【1993年12月 自衛隊市ヶ谷駐屯地の見学会】
2000年5月、防衛庁本庁は現在の東京ミッドタウンの場所から市ヶ谷地区に移転したが、移転工事が着工し間もない1993年12月18日、自衛隊市ヶ谷駐屯地の見学会が行われた。
この見学会は1937年に建設された1号館や、その内部にある極東国際軍事裁判の法廷となった大講堂を見学できるものだったが、私にとっての一番の関心事はその地下に眠る戦時中に造られた地下壕の見学だった。
■当時の市ヶ谷駐屯地案内図 1号館は敷地の中央にある。現在は敷地内西側に移設され市ヶ谷記念館となっている。一部の区画で工事が始まっている。
■1号館外観
■移転工事のための基準杭
【地下壕の概要】
この防空壕は、防衛省の説明によれば「詳しい建設目的や使用状況は不明」だが「ポツダム宣言受諾に際し、当時の阿南惟幾陸相が若手将校を集め、『天皇陛下のご聖断が下った』と伝えた場所」ともいわれている。(「大本営地下壕を公開=陸軍大臣執務室跡も 写真特集」時事ドットコムニュース)
見学時壁面に掲げられていた「地下壕略図」によれば、約50m✕45mの範囲にトンネル状の「室」が南北に3本、東西に2本格子状に延びている。断面図の表記に不詳な点があるが、地下約16mといったところか。「室」の面積は968㎡、「通路」の面積が260㎡であり合計1,228㎡の広さだ。
■地下壕略図を説明する広報官
■地下壕略図をサイズを修正し描き起こした図
【通路】
地下壕は幅1.4m、高さ2.7m。延長37mの通路2本で1号館と結ばれていた。末端には1号館に上る階段があった。また敷地内靖国通り側の地盤が低くなった部分に3箇所の出口が設けられていた。
■1号館と地下壕を結ぶ通路
■前方のドアが出口
■出口を外部から見る
【室】
幅4.3m高さ4.1mの、格子状に掘られたトンネル状の空間。壁面はコンクリートで固められ、内部を仕切って部屋をつくっていた。見学時は隔壁の跡や配電盤の跡、壁面から突出した鉄筋などが残されていた。
■「室」の部分
■阿南陸相の執務室跡、その奥が通信所
■確か炊事場という説明だった記憶
■壁面に残る配電盤の跡
■広報官によれば、この壁面に「人の顔が見える」という噂もあった
■占領時に壁面に書き加えられた”No Smoking”の文字
【換気設備】
地下壕内の一画に当時の換気設備が残っている。2本の鉄骨で支えられた円筒状の設備で、見学当時まだ動かすことができた。地上に排気口があるが、上空から判別できないよう、石灯籠でカモフラージュされている。
■換気設備
■同上
■換気設備の排気口をカモフラージュする石灯籠
(2000.11作成、2019.5.2 追記)