【本郷台の崖線とJRの路線】
■一帯の地形(©2018 Google ©2018 ZENRIN ©2009-2015 gridscapes.net)
JR京浜東北線や東北本線を利用すると、一部赤羽から上野までの区間、本郷台(台地の名称。横浜市の地名ではない。)の東端の比高約15mの崖下沿いを走ることになる。車窓からこの本郷台の崖を眺めていると、時折線路と崖の間の狭い場所に気になる場所を見つけることがある。
さくら新道や王子バラックもそのように発見した場所だが、ここでは日暮里・鶯谷間にある芋坂と芋坂児童遊園、芋坂跨線橋を紹介する。
■位置図
日暮里から鶯谷方面へ出発してまもなく、それまで進行方向右手に続いていた谷中霊園あたりのコンクリート擁壁が途切れ、崖下の児童公園とそれに続く坂が見える。車窓から見る限り崖下の児童公園には一本の行き止まりの坂しか続いていないように見える。そして児童公園を過ぎると車両は跨線橋の下をくぐる。窪地の底の児童公園と行き止まりの道に不自然さを感じる。
【断ち切られた坂道、代替ルートとしての跨線橋】
この公園に向かう行き止まりの坂は「芋坂」、児童公園は「芋坂児童遊園」、跨線橋は「芋坂跨線橋」という。
■付近の状況(©2018 Google ©2018 ZENRIN)
現地にある台東区の坂名標によれば、芋坂は谷中から日暮里へ通じていたが鉄道により分断され、それにかわって芋坂跨線橋が建設されたという。確かに明治期の地図を見ると今の道筋が鉄道を横断して日暮里方面へと通じている。現在児童遊園へのアプローチとしてしか使われていないこの坂は、正岡子規や夏目漱石の作品にも現れる、谷中と日暮里を結ぶ坂の無残な残骸だったのだ。
■明治期の芋坂(『東亰市下谷區全圖』明治四十一年一月調査 東京郵便局)
芋坂跨線橋は「橋梁史年表」(土木学会附属土木図書館) によれば1928(昭和3)年開通している。「芋坂跨線橋」でサーチをすると、跨線橋としては高さが低いため下を通る電車を間近でみることができ、鉄道ファンの間では人気のスポットになっているようだ。また台東区はここを東京スカイツリーのビューポイントとして指定している。
■芋坂跨線橋
芋坂児童遊園は公園内にあった標識によればJR東日本の土地を台東区が借りて児童公園として使用しているようだ。園内の広場の地面には、以前のJRの建物の跡だろうか、L字型の基礎の跡が2箇所現れている。
■芋坂児童遊園内に残る建物の基礎の跡
かつて多くの人が通り愛されたであろう坂が現在は行き止まりの道の残骸となった一方、それに変わって建設された跨線橋はまた別の形で多くの人に愛される名所となっている。
【おまけ:芋坂脇の階段】
なお芋坂の中程から分岐する興味深い階段があったので紹介する。
階段の中程から十数段の石段が延びており、それにぴったり接する形でコンクリートの階段がつくられている。おそらくは隣接する建物の改築に伴い石段の半分が更新されたのだろう。階段は途中で屈曲しており、新旧の階段サイズや段数の差、高低差、中央の隔壁と手摺、踊り場から派生するもう一本の石段などの要因が実に複雑な形状をつくりだしている。新旧の階段の明度のコントラストも注目すべき点だ。
■芋坂脇の階段の複雑な形状