四谷荒木町(2):1972年当時の料亭の分布
「四谷荒木町(1):窪地の地形が生んだ坂とバーの街」で、次のような内容を書いた。
ただ荒木町が惜しいのは、駅と飲食店街と坂・池の位置関係があまり良くない点だ。池のあたりの低い場所にも飲食店があれば、坂を下って飲みにいく、池を見ながら食事するといったアクティビティが発生するだろう。現状では駅から池を見ず、坂を通らずとも飲食店街までたどり着けてしまう。荒木町で飲みながら策の池の存在にも気づいていない者もあるのではないか。 |
この点過去はどのような状況だったか。1983年三業組合(料亭・待合・芸妓屋の組合)が解散する前の住宅地図(1972年当時)から、明確に「料亭」「旅館」と表記してあるものを地図上にプロットしてみた。現在の区立荒木公園の位置には三業組合の事務所が残っており、現在飲食店が集積する柳新町通り、車力門通り以外にも、明治期の策の池の周囲に料亭が分布しているのがわかる。2019年現在1の橘家は現存、9の雪むらは建物が残っている。
かつて一体であった坂・池という地形と飲食店街が分離してしまったのは80年以降、料亭が閉鎖し宅地化していった結果だったのだ。
公共施設地図航空 編「全航空住宅地図 新宿区」昭和48年度版 をもとに作成
なおこれ以前の状況を知ろうと住宅協会「東京都全住宅案内図帳 新宿区東部」1962にあたったが、料亭などの表記がなく確定できなかった。また1948年頃の火災保険特殊地図を探したが、荒木町付近のものは見つけられなかった。