■渋谷区

2023.05.15

渋谷百軒店 裏の路地

 道玄坂を少し上るとその右手に小高い丘があり、その上に「百軒店(ひゃっけんだな)」があります。
 百軒店は街区が「日」の字の形をしており、周囲の比較的ランダムな道筋と様子が違うのは、ここが歓楽街としていちどきに開発されたためです。

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百軒店の位置(国土地理院「地理院地図」 標準地図と陰影起伏図を加工)

 渋谷百軒店は関東大震災後堤康次郎の箱根土地株式会社が中川久任伯爵邸の跡地に開発した歓楽街で、被災した銀座や浅草の店舗が移転し開発直後は大きな賑わいを見せていました。

「渋谷道玄坂の百軒店は箱根土地株式会社の経営である。…会社は此の三千四百坪の地所に
△事務所一棟店舗百十七軒△稲荷神社社殿、神楽殿、社務所各一棟△劇場聚楽座一棟△仮設観物場、音楽堂各一棟△派出所及消防所各一棟△花壇及貯水池各一ケ所
等数種の建物を建設した。併し此の土地は会社の所有地ではない。此の土地は中川(久任)伯爵の所有土地である。中川伯爵の所有土地を箱根土地が仲介者となって分譲したものである。」
(実業之世界社「実業の世界 八月大活動號」1924.8)
「震火災の為に銀座が焦土になり、浅草が焦土になり、その銀座浅草が気を揃えて渋谷に引越した格好となったのである、そこへ先頃百軒店なるものが出来た、宛然常設博覧会とでも云ふべき軒並で、食ふものには精養軒があり弁松があり、うなぎの竹葉天麩羅の大新鮨の与兵衛もあり、諸国の名産も大分揃うて、こゝへ来れば日用品も贅沢物も、大抵の買物が出来る、千代田稲荷が表看板で、その前には聚楽座といふ劇場もあり、…何にしろ賑やかな所が出来たもので、」
(大日本藝術協會「藝術」1924.5)

1925
東京交通社「大日本職業別明細図之内 渋谷町」1925に見る百軒店。「聚楽座」「演舞場」「渋谷キネマ」などの娯楽施設がみえる。道玄坂の入り口には被災地から避難してきた資生堂が。千代田稲荷の位置が現在と違うように見える。

 しかし被災地が復興すると店舗は元の場所に戻っていき、百軒店の賑わいも長くは続かなかったということです。50年代のエッセイには映画館が数件あるほかは「極めて閑寂な街」になってしまったと記されています。
 70年代にはこれらの映画館もボーリング場を経るなどして最終的にはマンションになり、繁華街としての性質は薄れてしまいました。

「道玄坂をのぼり切って右へだらだらと登ると戦前までは非常な繁栄をしていた『百軒店』があるが、戦後は全くさびれて、飲食店もまばらに、テアトル・渋谷、テアトル・ハイツ、S・Sの映画館が、わずかに好映家の足をとどめる程度で、極めて閑寂な街になってしまった。」(足立直郎「鍵穴えん筆」朋文社 1957)

1965
住宅協会「商工住宅名鑑 渋谷区」1965。映画館テアトル渋谷、テアトルハイツ、テアトルS・Sの名が見える。現在はそれぞれライオンズマンション道玄坂、サンモール道玄坂等になっている。

 この百軒店の「日」の字と道玄坂の間に、ほぼ店もなく人通りの少ない裏道があります。
 この道は百軒店の丘の縁の崖に沿って道玄坂と並行して延びる約80mの区間で、崖の高低差は約5mあります。

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入口

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奥へ進むと…

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左の道玄坂側は崖


 この道には主に百軒店に並ぶ店や道玄坂沿いの建物の裏口ばかりが並んでいますが、一軒だけ「とりかつ」という店が表口を向けています。いろいろな揚げ物の定食を安く提供する店で、このサイト(はらへり「渋谷・道玄坂の老舗「とりかつチキン」を取材!おすすめメニューも紹介」)の取材によれば1977年から営業しているようです。裏道でこのように長く営業できているのは価格の安さと揚げ物の腹ごたえにあるのかもしれません。

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「とりかつ」。この通りに面する唯一の店。

 

 繁華な街の一画にこのようなうら寂しい場所を見つけることには、街の秘密を発見したような面白さがあります。【吉】


Off Street in Hyakkendana, Shibuya, Tokyo

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In the midst of thriving city of Shibuya in Tokyo, there is a backstreet with few people and few stores. It is on the edge of "Hyakkendana", an area on the small hill at the side of Dogenzaka street, one of the main streets in Shibuya.
This backstreet mainly faces the rear entrances of buildings around, but there's only one shop along the backstreet. "Torikatsu" is an inexpensive chicken cutlet shop, since 1977.
It is surprising to find a lonely place like this in the middle of entertainment district.

2022.12.18

誰にも見えない巨大標語

 渋谷駅を降り、マークシティの横を入ったパチンコ屋の多い街を歩いていると、このように渋谷警察署と渋谷消防署の大きな標語が見える。
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 近づいてもなかなか標語の全貌は見えない。ためしに道玄坂に出てみるとかえって全く見えない状況だ。この標語を見ようとすればこの道か、あるいはマークシティ内のオフィスから見るしかないようだ。GoogleMapで上空から見るとこのような状況だ。誰にも見えない場所にどでかい標語を表示する違和感。

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 ところで文字がかすれているのが気にかかる。「やさしさと思いやりのある運転を 渋谷警察署」「あとでより いまが大切 火の始末 渋谷消防署」の字は、よく見れば色があせて灰色になっているように見える。また標語がとりつけられている波板には雨が流れた汚れがついているではないか。
 試しにこの標語で検索をしてみると、あった。「あとでより いまが大切 火の始末」は1984年の全国統一防火標語、「やさしさと思いやりのある運転を 渋谷警察署」は1986年春の交通安全運動のスローガンだったのだ。80年代? 40年近く前?(日本損害保険協会「過去の全国統一防火標語」
 この建物新大宗ビル4号館の築年はすぐにはわからなかったが、隣の3号館の築年は1975年。4号館が建築されたのはその数年後とすれば、80年代に建築されたこのビルに渋谷駅前や道玄坂から目立つように標語を表示したが、その後周囲に建物が林立し周囲から見えなくなってしまったので、ある時点から更新もされずそのままになっているという経緯が想像できる。

なおこの標語の命も長くはない。現在この建物を含む新大宗ビル一帯では再開発事業が進行中だ。竣工は2026年。(渋谷文化「新たな再開発エリアの注目は『道玄坂』 新大宗ビル建て替えへ」

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付近には「長崎飯店」や「長岩病院」など古い建物や店舗が残る周囲とは微妙に違った雰囲気の場所だ。【吉】

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2022.10.31

渋谷定点観測02-22 その13 円山町・神泉・道玄坂

062 円山町その1

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002年の中央の和風建築、1957〜79年の住宅地図には「料理 春 富久井」と表記がある。2002年の時点では「ギャラリーショップ やなせ」の表記が。料理屋の建物を活用してショップにしたのだろう。そして2016年賃貸マンション「春富久井ビル」が完成した。かつての店名を冠したネーミングだ。手前の「ホテル ルテシア」は健在。奥の「ホテル チャンドラ」は「ホテル ゼロ」になったが、建物の形は変わっていない。

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063 円山町階段

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階段横の「三光ハイム」、つきあたりの「NEIビル」は変わらず。赤い屋根の木造アパート「栗山荘」は建て替えたが現在も「栗山荘」という名称。

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064 円山町その2

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2002年時点で看板は出ていないが「おでんの店 ひで」であった。2022年も変わらず営業中。植え替えたのか伸びたのか、植え込みの様子はだいぶ違う。

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065 円山町その3

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料亭「花芳」は個人宅と駐車場になった。背後の「ホテル ペリカン」は健在。

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066 円山町その4

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料亭だろうか、「三門」と看板を掲げた和風建築。この翌年賃貸マンション「ヴィータ道玄坂」に建て替わっている。2022年は外装修繕のための足場がかかっている。カーブミラーの上の「HOTEL TEN-UN すぐそこ」のサインはなくなったが、ホテル自体は今もある。2022年のピンクの看板。これは奇抜なデザインで一時話題になった「スイーツホテル ルビー」「スイーツホテル ショコラ」(Jタウンネット「客室の壁にパン、パン、パン...! メルヘンすぎるラブホが渋谷に爆誕→記者が突入してきました」)のオープンの広告だ。

 

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067 道玄坂看板建築

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2002年当時新大宗ビル群の前面に6軒残っていた看板建築。当時の住宅地図をみると右から「DUKAN」「ナショナルショップノザワ」、1軒とばして「パラダイスアート」「大和興産渋谷コミュニティスペース」「セキネ」の5軒が営業中であった。壁面の剥落防止のためか緑色のネットがかかっている。ストリートビューで確認すると2014年から2015年の間に解体され駐車場化したようだ。
そしてこの駐車場を取り囲む新大宗ビル群の一帯も現在再開発が計画されている。11階建のホテルと30階建のオフィスが建設される模様(三菱地所「『道玄坂二丁目南地区第一種市街地再開発事業』再開発組合設立のお知らせ」)

 

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068 渋谷道玄坂トンネル

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トンネル上部の小屋がなくなり、表面をはうツタ類が増えている。右側の階段、「おでん 小料理 侘助」の看板がなくなった。踏切の設備も、中央の縦一列のランプがなくなったり、警報機の丸いランプが四角くなったり、新たに五角形のランプがついたりと微妙に変化している。詳しい人が見れば、この20年間の鉄道技術の変化が見てとれるのかもしれない。高圧電線の制限高が4.1mから3.8mに変わっている。

「渋谷定点観測02-22」の最後に
今回2022年の定点観測は以上です。まだまだ変貌を続ける渋谷、10年後の2032年、20年後の2042年と定期的に定点観測を報告していきたいと考えていますのでまたご期待ください。
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2022.10.24

渋谷定点観測02-22 その12 百軒店その3・道玄坂一・二丁目

055 喫茶ライオン

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1926年創業の名曲喫茶ライオン。基本的に外観は変わらずあまり劣化も進んでいないが、入口の緑の突き出し看板がなくなった。とれちゃった? また窓のテントの配色が変わり、電柱の突き出し看板がなくなり、巻付看板の配色が変わった。一軒向こうの老舗ロック喫茶BYGはピンクの看板が外れている。写真には写っていないが窓の外に放り出してあった。一軒手前の物干し台が置いてあった民家は紆余曲折あり現在は焼肉屋に。ストリートビューで確認すると「麺処 ぶたのまき」→「ブラジリアン食堂 BANCHO」→「焼肉酒場 肉ジョージ」→「博多焼鳥 串ジョージ」→現在の「焼肉ホルモン 新井屋」とめまぐるしくテナントが変わっている。道路がブロック舗装になった。

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056 百軒店北側の通り

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喫茶ライオンがある北側の通り。左側丸八ビルの看板がなくなった。1階が黄色い建物とその奥は建替え。ロック喫茶BYGのピンクの看板もなくなっている。つきあたりの駐車場に2005年道玄坂柳光ビルが完成。さらに奥に看板が見える、文化村のはす向かいにある渋谷シティホテルは2015年に名称変更とともに「SHIBUYA CITY HOTEL」の表示がなくなった(EN HOTEL Shibuya「渋谷シティホテルが生まれ変わります。」)。道路がブロック舗装になった。

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057 千代田稲荷神社

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神社は基本的に変わりなし。入口に折りたたみゲートがついたくらい。向かって右側の「ホテルモティ」は改装して新しくなり、左側の駐車場は道玄坂柳光ビルが完成。なお柳光ビルは渋谷にいくつもビルをもち、「渋谷定点観測02-22 その8 宇田川町」で紹介した「CISCO」のあったビルも同社所有のビルだ(柳光SYJグループ「4つのビルのストーリー」)。道路がブロック舗装になった。

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058 ホテル「アラン・ド」

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入口が塞がれ「大改装 近日OPEN」の張り紙が。しかしSNS等でたどると閉館したのは2019年、それから3年経った2022年現在まだ再オープンはしていない。壁面には落書きがありガラスも割れ始めている。2022年現在の渋谷区の「旅館業施設リスト」にはまだ掲載されているので再オープンを諦めてはいないようだ。同資料によれば1983年に許可がおりている。36年間続いたわけだ。なお新宿のアラン・ドは現在も営業中。

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059 円山町への坂

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文化村通りと道玄坂を直接つなぐ道路であり円山町への主要な動線であるのに名前がない道路。近年「ランブリングストリート」と呼ばれているようだが定着するか。この地点は文化村通り側からの入り口部分。
左側手前の1階が黄色い飲食店「花の木」は全体が黄色くなり飲食店「渋谷ゴールデンボール」に、その奥の緑で覆われたロシア料理「サモワール」は飲食店「しぶや花魁」になった。その奥の「ホテル・セラヴィ」は2011年「ホテル・ウィル」に。なおサモワールは1950年に現在のヤマダデンキLABI渋谷店のあたりに開店(東京些末観光「50年代の渋谷三角地帯(2)」)、その後当地に移転し、SNSをたどると2007年ころに池尻に移転した。
右側は青い看板の「ホテルプリンセス」がピンクの看板「ホテルエリアス」に。しかし「ホテルエリアス」は渋谷区の旅館業施設リストによれば営業許可日が1967年になっているので単なる名称変更だろう。だとすれば円山町で一番古いラブホということになる。
奥に見える道玄坂上に建設中の「E・スペースタワービル」ビルは2002年に完成。

 

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060 マークシティ横の坂その1

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「ホテルふじや」は「道玄坂Trビル」に建て替わった。手前の「ノナカビル」や右側の「龍昌ビル」は健在だが袖看板が消えた。袖看板は今どきはあまりはやらないのかもしれない。

 

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061 マークシティ横の坂その2

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マークシティ側は変わらない。だがなぜか駐車場入り口の上にマークシティのロゴがつけられた。入口がわかりにくいという意見があったのか。右側に2012年渋谷ヒカリエ、2019年渋谷スクランブルスクエアが完成している。

 

2022.10.17

渋谷定点観測02-22 その11 百軒店その2

050 喫茶ライオン裏口

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1926年創業の名曲喫茶ライオン。こちらは表の入口ではなく裏手の飲み屋街側の入口。2007年飲み屋街が開発され賃貸マンション「スクエア渋谷」が完成した。ライオンの裏口に至る飲み屋もスクエア渋谷の駐車場となっている。

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051 百軒店飲み屋街その1

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百軒店の中央の通りから奥に2本路地が伸び、飲み屋街があった。そのうちのさびれた方の路地。2002年の時点で立ち退きを進めていたのだろう、営業している店も少なく一部すでに廃墟化が始まっている。「わかば」「向かい」等が営業中。2007年飲み屋街が開発され賃貸マンション「スクエア渋谷」が完成した。2022年は全く意味のない写真になってしまったが同じ角度から写真を撮影した。スクエア渋谷のマンション入口。

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052 百軒店飲み屋街その2

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百軒店の中央の通りから奥に2本路地が伸び、飲み屋街があった。そのうちのまだ栄えている方の路地。「スナックぴえろ」「スナック島」「モニカズ」「まさこ」「スナックさらさら」等がまだ営業中。2007年飲み屋街が開発され賃貸マンション「スクエア渋谷」が完成した。2022年は全く意味のない写真になってしまったが同じ角度から写真を撮影した。スクエア渋谷のオフィス階入口。

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053 百貨店飲み屋街その3

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百軒店の中央の通りから飲み屋街入口を見る。「一木屋酒店仮店舗」「庭」「すみ江」等の店名が見える。「渋谷時報社」はどんな出版物をつくっていたのか。気になるところ。2007年飲み屋街が開発され賃貸マンション「スクエア渋谷」が完成した。ついでにつきあたりの「ホテルサンエイト」は駐車場になっている。

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054 百軒店中央の通り

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百軒店の中央を通る道。右側のマンション「サンモール道玄坂」つきあたりの「Sgビル」(左)、武道具店「松興堂」(右)、「野村不動産渋谷道玄坂ビル」(背後)、「渋谷マークシティ」(さらに背後)、左側奥のライオンズマンション道玄坂は変わっていない。街路灯の形もそのままだ。左側手前の飲み屋街の一画は2007年賃貸マンション「スクエア渋谷」になった。

 

2022.10.09

渋谷定点観測02-22 その10 百軒店その1

045 百軒店入口

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道玄坂側の百軒店のゲート。店舗はつきあたりのローソン、道頓堀劇場を除いてほぼ入れ替わっている。ゲートもゴルフボール的な人物から鳥居のような形に変わった。

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046 道頓堀劇場

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1970年開業のストリップ劇場。店舗の詳細はこちら(東京些末情報「道頓堀劇場」)に譲るとして、黄色いちょうちんに赤い筆文字のネオンの外観は全く変わっていない。手前のビルの弁当屋は風俗の無料案内所に改修中。

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047 百軒店路地その1

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目立たない道だが百軒店入口の坂の横を入る路地。左右の建物は色合いは変わったが同じ建物。左側の建物は1階部分をぶちぬいて間口を広くしたようだ。驚くべきは右側の建物のシャッターのペインティング。20年で店は変わっても全く色あせていない。

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048 百軒店路地その2

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その1の入口を入った奥。路地の奥にありほとんど目立たない店「とりかつ」がずっと続いているのは驚き。

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049 ムルギー

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レンガ張りの入口に変化はなし。建物の色は赤から茶色になった。窓際の植え込みはフェンスになり、入口の右に勝手口ができた。

 

2022.10.03

渋谷定点観測02-22 その9 道玄坂小路・道玄坂二丁目

039 道玄坂小路

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渋谷109や渋谷プライムの街区の裏で文化村通りと道玄坂を結ぶ道玄坂小路。2002年にこの場所を撮影したのは1997年までこの場所にあった「フレッシュマンベーカリー」の跡地だったからだ。同店についてはこちらに譲るとして(東京些末観光「フレッシュマンベーカリー」)、閉店から5年後の2002年まだ建物は残り、ガラス戸には閉店を報じる新聞の切り抜きが貼ってあった。
2008年この背後にあった「長谷川スカイラインビル」一帯の建替えによりこの場所は「ヤマダデンキLABI渋谷店」の道玄坂小路側の出入口になった。左側のシャッターは同店の修理受付センター。背後の若槻ビルはテナントが入れ替わったものの現存。

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040 麗郷

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麗郷の建物は変化がないが足元の排水処理に変化あり。坂に沿って盛り上げていたコンクリートの水除けがより高くなり、建物の先にマスをつくり植木を植えている。坂からの排水処理に苦心している様子。

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041 百軒店への階段その1

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右側トーワ道玄坂ビルの植え込みがなくなりコインロッカーになっている。ファッションヘルス「現代から未来」は「渋谷ストロベリージャム」に。左側椎津ビルのしゃれた(?)街路灯はなくなった。階段の上の方は道玄坂ナルセビルの敷地で狭くなっていたが「ホテルエルメ」の建設に伴い拡幅された。
そんな中全く変わっていないのがファッションヘルス「道玄坂クリスタル」だ。Midnight Angel(風俗サイトにつき閲覧注意)によれば同店は2022年時点で「30年の歴史をもつ老舗」とのこと。ここはもう公式名称「クリスタル坂」でよいのではないか。

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042 百軒店への階段その2

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手前右側の道玄坂ナルセビルの敷地はベニヤ板で囲まれ狭くなっていたが「ホテルエルメ」の建設に伴い拡幅された。左側の「愛知歯科」は「ネットルーム 1.st」に。「ザ・プライム」の看板の配色が変わった。

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043 麗郷裏の坂

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麗郷に向かって左側の坂を上ったところ。右側の手前のレンガ壁は麗郷。右奥のカスミビルはテナントに変化があるものの健在。左側のラブホ「Villa Giulia」も配色が変わったものの健在。正面のながらく仮囲いで囲まれていた旅館聚楽跡の敷地は「渋谷区道玄坂二丁目開発計画」によりドンキホーテホールディングスが地上28階建の店舗・事務所・ホテルを建設中(2023開業予定)。

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044 道玄坂2丁目ラブホ街

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右側のラブホ「Villa Giulia」は配色が変わったものの健在。左側のラブホ「ホテル アート」は「ホテル パリス」に。しかしゲートや入口のガラスブロック、壁の太陽の装飾や模様もほぼそのまま。居抜き物件か。正面のながらく仮囲いで囲まれていた旅館聚楽跡の敷地は「渋谷区道玄坂二丁目開発計画」によりドンキホーテホールディングスが地上28階建の店舗・事務所・ホテルを建設中(2023開業予定)。遠方「パチンコマルハンタワー」(2016閉店)ビルには「MEGAドンキ」が開店し「驚安の殿堂」の看板が。2019年完成した地上20階の「渋谷パルコ・ヒューリックビル」の頭が見えている。

2022.09.26

渋谷定点観測02-22 その8 宇田川町

035 東急ハンズ向かいの小階段

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東急ハンズの前の道路は歩道と車道に段差があり、以前歩道から横断歩道に下りる小階段があった。ここもたまたま1985年頃の写真があったので並べて掲載しよう。
1985年の頃はコンクリートにガードレール、背後の渋谷区清掃事務所の壁もブロック塀だった。なおブロック塀の足元に見える石標には「陸軍用地」の表示がある。
2002年清掃事務所の建替えに伴いブロック塀はフェンスになった。写真には写っていないが陸軍用地の石標は敷地内に移設された。
2022年階段はなくなり、コンクリートの擁壁も緑化され、ガードレールもフェンスに変わった。階段がなくなったことで横断歩道の位置も変わっている。なおGoogleストリートビューで確認したところこの階段は2019年までは残っていたようだ。

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036 井の頭通りから神南小への階段

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井の頭通りと神南小学校がある小高い丘を結ぶ階段。
階段横の新東京ビルは2002年には「CISCO」「Manhattan Records」「hot wax」「Yellow Pop」等レコード屋の牙城だった。一部ではこの階段を「シスコ坂」と呼んでいた。と知ってたみたいに書いてるけど今回調べるまで正直知りませんでした。詳しくはこちらを(シブテナ「宇田川町で半世紀『シスコ坂』の生みの親 柳光商事 一柳弘子さん」)。「CISCO]は2007年、「Yellow Pop」は2011年に閉店し、2011年開店した「FACE RECORDS」が残っているもののカフェになっている店もあるようだ(シブヤ経済新聞「渋谷・シスコ坂に中古アナログレコード店『フェイスレコード』-同業店跡に移転」)。そのせいか外観も突き出し看板やテントがなくなりすっかり落ち着いている。階段下の木造家屋も2013年建て替えられてカフェ&ダイナー「FLAMINGO」になった(渋谷経済新聞「渋谷・宇田川町にカフェ&ダイナー『フラミンゴ』-LD&K新店」)。
新東京ビルの背後には2019年建て替えられた渋谷区役所と「パークコート渋谷ザタワー」が。

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037 二・二六事件慰霊像

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ここは全く変わっていない。むしろ「二・二六事件慰霊像」という木標の文字がくっきり新しくなっている。1965年この像を建立した「佛心会」がまだここを管理し続け、花を手向けているのだろうか。背後に2019年建て替えられた渋谷区役所。

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038 安全菩薩

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渋谷地方合同庁舎裏にある菩薩像。区役所周りの開発に伴いどうなるか気にしていたが無事であった。傍らの碑文には「安全菩薩 十九名の青年将校と玉井事務官の霊及び 一切の諸霊の冥福を祈り 庁舎及び職員(家族)の安全を祈願する 昭和五十七年七月十五日 東京法務局渋谷出張所長」とある。この文面が気にかかった方は過去の記事をお読みあれ(東京些末情報「渋谷安全菩薩:二・二六事件の怪談と法務局事務官の死」)。
背後に2019年建て替えられた渋谷区役所。

2022.09.22

映画「踏みはずした春」と東京にあった「乗馬道」

■「踏みはずした春」の不明なロケ地
このところ70年代以前の渋谷の映像について撮影された場所を特定することを進めており、「東京ポチ袋」の「映像の中の渋谷」で順次紹介をしている。

その作業の中で、映画「踏みはずした春」のロケ地について2つの疑問が残った。

①ラストシーンの道はどこか
ラスト、小林旭と浅丘ルリ子が並んで歩いてゆくのを左幸子と二谷英明が見送る広い並木道はどこか。
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小林旭をウキウキで迎えにいく左幸子
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ところがガードの横から浅丘ルリ子が現れ…
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ハラハラの左幸子と二谷英明 背後に「喫茶外苑」
 
②渋谷警察署とされた建物は何か
小林旭が釈放されるシーンで、渋谷警察署とされている建物が他の映画と明らかに違っているのだが、この建物は何か。
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渋谷警察署(にせもの)
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建物全景 小林旭を木の陰で待つ左幸子
Img_4998 警察署から続く道 え…無視なの…?

この疑問を解決する過程で都内にあった「乗馬道」という特殊な空間の存在を知ったので、解明の過程を順を追って紹介したい。

■ラストシーンの道の特定
まずは①の場所から考え始めた。手がかりは

・幹線道路クラスの広い幅員
・まっすぐな線形、いちょう並木
・線路沿い
・線路は道路より少し高く、低いガードがある
・沿道に「喫茶外苑」がある

である。

見覚えのない道だが、しばらく地図と見比べ、条件に合うのは国立能楽堂付近、千駄ヶ谷駅から代々木方面へ延びる都道414号と総武線ではないか、現在鉄道と都道の間は分厚い首都高速4号の構造物でさえぎられているが、首都高がなければこのような風景なのではないかと考えた。

そう考えると鉄道と道路の間の広い空間はのちに首都高がつくられるスペースと考えられるし、浅丘ルリ子が待っていたガードは、現在高速道路に隠されている仲道ガードか大通ガードと考えられ、色々と条件が合致する。

のちに当時の住宅地図で画面に写っていた「喫茶外苑」を発見し、この場所だと確定した。
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■「乗馬道」の存在
実は上記のことを調べているうち、興味深い事実を知った。

都道414号と総武線の間の広いスペース、映画の中では広い緑道のような使い方をされているこのスペースが、鉄道史探訪家の内田宗治氏が書いた記事によれば、戦前明治神宮と外苑を繋いでいた乗馬用の道だというのだ(URBAN LIFE METRO「昭和の戦前、なんと中央線に沿って『乗馬道』があった! いったいなぜなのか」※図面もあって面白いので必見)。
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長さ約750m、幅約7mの砂と木くずを混ぜたものが敷かれたこの乗馬道が、戦後廃止され映画に写っているような幅広い緑道となり、60年代には高速道路の建設用地として利用された。それによりこの道路の風景は、ひと目映画で見ただけではどこかわからないくらい変貌したのだ。

■「渋谷警察署」の特定
次は「渋谷警察署」とされる建物についてだが、乗馬道の存在を知ったことから、次のように考えた。

・「警察署」に続く道にも広い緑道状の空間があった。
・この「警察署」も乗馬道の沿道にあるのではないか。

この時点で思い当たる建物があった。北参道にあり、現在ゼネコンのフジタ本社がある修養団SYDビルだ。
修養団とは1906年に設立された教化団体であり、大部分の教化団体が戦後解散させられた中現在でも存続している団体である。
同ビルは1996年に建設された十数階建の高層ビルだが、この前身となったビルがあって、それが渋谷警察署として使われたのではないかと考えたのだ。

建替え前の建物の姿を探すうち、修養団の広報誌「SYDかわらばん」に行き当たった。同誌の2021年5月20月号に「歴史探訪 修養団事務所の変遷」という記事があり、その中に「渋谷警察署」と同じ建物を見つけた。ビンゴ。
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修養団会館。1926年建設。(SYDかわらばん 2021年5月20日号より)

■映画「踏みはずした春」について
以上がロケ地特定と「馬車道」を知った経緯だが、最後に「踏みはずした春」について紹介しておこう。

1958年の日活映画で監督は鈴木清順。
少年院帰りの小林旭の更生をボランティアとして支援する左幸子。彼女は就職の世話や、小林とその彼女である浅丘ルリ子との再会を手伝うなど小林の社会復帰を図る。しかし左は次第に役割を超えて年下の小林にほのかな好意を抱くようになり…というあらすじ。
乱暴者だが年上の左が好意を寄せてしまうような愛嬌に満ちた小林のキャラクター、敵役ながら憧れてしまうほどかっこいい宍戸錠、小林に対する淡い想いを見事に演じる左の演技とそれをバックアップする林光の音楽など、見ておいて損はないと思う。

そして何より全編渋谷周辺のロケが中心なところが「映像の中の渋谷」を進めている我々には魅力だ。今後「映像の…」の中で今後順次発表していくので乞うご期待【吉】

2022.09.19

渋谷定点観測02-22 その7 渋谷センター街

032 渋谷センター街その1

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基本的に看板は変わったが建物自体は変化がない。テナント総入れ替えの中大黒屋強し。

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033 渋谷センター街その2

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建物も舗装も街路灯も変わっていない。変わったのはテナントだけ。松屋と歌広場、ABC-MARTはセンター街では老舗。

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034 門

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2022

「新楽飯店」は「香港食市場」に、「ポプラ」はラーメン屋「神座」になったが、創業73年の「門」は20年くらいでは看板のデザインすら変えない。