■港区

2023.11.24

我善坊谷-麻布台ヒルズ2002 ③

 麻布台ヒルズの20前街並みを紹介するこの企画の第3回。今回は我善坊谷の中心の道の東側、西久保八幡神社、桜田通り沿いを紹介します。【吉】

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■撮影地点(29〜44)

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29,30.中央の道沿いにあった「麻布台1丁目第2駐車場」。北側に大きな擁壁が面している。擁壁の上の建物は「神谷町マンション」、その背後は「城山トラストタワー」。

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31.中央の道から北にのびる行きおまりの路地。元店舗だったような空家の壁面にデザイン上の工夫がしてある。

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32.中央の道から北にのびる行きおまりの路地。空き家になった民家の戸袋に漆喰で五輪塔の模様がつくられている。右下に見えるように空家には森ビルによって「立入厳禁。巡回警備実施中。」の貼り紙がしてあった。

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33.中央の道沿いのマンション。隣の「虎ノ門5丁目第2駐車場」側から解体中。

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34.中央の道沿いに桜田通り方面を見る。右側の建物は自動車修理工場だったのだろうか、「スバル」の文字が。両側とも空家が続く。

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35.中央の道から駐車場越しに背後の民家を見る。遠方に霊友会釈迦殿。

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36,37.中央の道から西久保八幡神社に続く路地沿いのアパート。敷地内の通路内にぽつんと天明4(1784)年と文化10(1813)年の年号が刻まれた墓石が残されていた。そこそこじゃまな位置にあるのに移動しなかったのはどのような事情があったのか。

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38.中央の道から西久保八幡神社に至る北参道。フェンスと「立入厳禁。巡回警備実施中。」の貼り紙。

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39.北参道建設の碑。「昭和2年8月建之」とある。

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40.西久保八幡神社の北参道を隣の空地になった敷地から見る。

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41.西久保八幡神社の北参道入口。何の表示もなく気づきにくい。

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42.中央の道沿いに飯倉方面を振り返る。正面の建物には「■田モータース」の表示が。右側は「株式会社第一製版」。背後の高層ビルは六本木ファーストビル(右)と六本木ビュータワー(左)。

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43.桜田通り八幡町歩道橋から我善坊谷の入口一帯を見る。
 一番左のビルは「山崎産業株式会社」、緑のテントは「ひかり美容院」、その右の縞模様のテントは青果店「佐々木商店」、黄色い看板は中華料理「萬壽園」、道をはさんで「翁寿司」「ヒカリ薬局」「虎ノ門三河屋酒店」。
 背後の建物は左から霊友会釈迦殿、六本木ヒルズ、六本木ビュータワー、六本木ファーストビル。

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44.桜田通り八幡町歩道橋から我善坊谷の入口一帯を見る。左よりアミタビル(東京三菱銀行)、日比野モータース。ここまでが麻布台ヒルズの範囲。


2023.11.13

我善坊谷-麻布台ヒルズ2002 ②

 麻布台ヒルズの20前街並みを紹介するこの企画の第2回。今回は我善坊谷の北側の尾根道から我善坊坂を下り、谷の反対側の三年坂に至るまでを紹介します。

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■撮影地点(19〜28)

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19.北側のアークヒルズ仙石山森タワーとの境界の道。南(右)側の建物の敷地とは高低差がある。遠方に霊友会釈迦殿と東京タワー。右端は鹿瀬ビル、中央はサウサリート麻布台。

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20.道沿いの建物の切れ目から南側に広がる眺望。右の建物はサウサリート麻布台、中央の蔵がある建物が公益財団法人書壇院。左は吉田苞竹記念会館。向かいの台地上の大きな建物は郵政事業庁飯倉分館(当時)。今回の開発に伴い「麻布ヒルズ森JPタワー」となった。

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21.写真12の勾配屋根の建物の入口側(空家)。高低差があるためこちらからは平屋にみえる。背後に霊友会釈迦殿と東京タワー。

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22.Y字路。左の仙石山森タワー側は尾根道が続き、右側は我善坊坂となって下る。間の三角地には菱沼邸。

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23.我善坊谷を下る。左は菱沼邸、右は崖。

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24.我善坊谷をさらに下る。左の擁壁がある家は空家。正面の赤い家は小林邸。

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25.我善坊谷を振り返る。擁壁の家は空家、右の家は鈴木邸。背後に六本木ファーストプラザ。

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26.我善坊谷を振り返る。擁壁に入口がある家(空家)。

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27.我善坊坂下。左の建物は近電設備株式会社。背後に六本木ファーストプラザ。

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28.霊友会釈迦殿脇の三年坂より我善坊谷を見下ろす。【吉】

2023.11.06

我善坊谷-麻布台ヒルズ2002 ①

 2023年11月麻布台ヒルズが完成します。
 麻布台ヒルズが完成したこの地は、麻布通りから桜田通りへ東西に延びた狭い谷に位置し、谷を走る一本の道路沿いに街が形成され、一つの空間的に完結した街を形成していました。
 この地は住居表示上虎ノ門、麻布台、六本木にわたっていますが、一つの谷をまとまりとしたこの地を呼ぶにはむしろ旧町名に由来する「我善坊谷」という名称の方がふさわしい気がします。
 すでに土地家屋の買収が進んでいた2002年、この地と隣接する仙石山を記録しようと写真を撮りました。30年以上にわたり進められてきた麻布台ヒルズが完成するこの機に、約100枚の写真を数回に分けて紹介し、 当時の街並みを振り返ってみたいと思います。2023.11.6 【吉】

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■我善坊谷の地形(東京地形地図による)

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■撮影地点(1〜18)(ゼンリン住宅地図東京都港区 2002をもとに作成)

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1.麻布通り・行合坂側からの谷の入口。ゆるやかな下り坂になっており落合坂と呼ばれる。右側はエグゼクティブタワーアザブダイ、左側はレバノン大使邸。正面は霊友会釈迦殿

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2.区立横川省三記念公園。日露戦争間死亡した新聞記者横川省三の旧居跡。1964年首都高建設に伴い移設され、今回の開発で2度目の移設となった(「横川省三記念公園の基本設計について」港区建設常任委員会資料)。

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3.麻布通り方面を振り返る。麻布通りと我善坊谷はかなりの高低差があり、行合坂により結ばれていたが、今回の開発により高低差は解消され、坂は姿を消した。

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4.中央の通りから北側の路地を覗く。左側仲村邸、右側の建物はすでに空き家。

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5.中央の通りから北側の路地を覗く。右側高橋邸、左側は空き家。

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6.中央の通りから南側の路地を覗く。右側山上マンション、左側木村邸。

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7.吉田苞竹記念会館。書家吉田苞竹関係の資料を展示。

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8.公益財団法人書壇院。吉田苞竹の書道研究会を母体に設立。

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9.サンマンション入口。サンマンションは左側の建物。後方の勾配屋根の建物は反対側に入口がありすでに空家。さらに後方の高層マンションは六本木ファーストプラザ。

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10. サンマンションの表札には旧町名の我善坊町が残っていた。

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11. サンマンションの反対側の路地。右は萩原邸、左は空家。路地は崖の手前でいきどまりで、崖の上に郵政事業庁飯倉分館(当時)がみえる。飯倉分館も開発に伴い「麻布ヒルズ森JPタワー」となった。

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12.9の勾配屋根の建物(空家)。手前の駐車場側に高い石積の擁壁が面している。

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13.南側の路地。入口両側の建物はすでに空家。崖の上に郵政事業庁飯倉分館(当時)。

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14.13の路地を入ったつきあたりにあった空地。我善坊谷南側の斜面。右の建物は麻布ロングビーチマンション。

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15.14に同じ。

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16.14、15を撮影した空地から北方向を見る。

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17.13〜16を撮影した路地。左側の建物は空家。

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18.中央の通りからいま来た方向を振り返る。正面の建物も空家。

2023.06.25

元麻布2丁目崖下の裏道

 港区元麻布2丁目に小さな交差点があります。交差点には大きな門が面し奥に道が続いてマンション「元麻布テラス」に通じています。
しかしその門柱の陰に、よくみると幅1mにも満たないような裏道の入口があり、奥へと続いています。
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元麻布テラスの入口と裏道への入口

 この道と元麻布テラスの敷地は約3mの高低差があり、この道は元麻布テラスの高い擁壁の下を沿うように続きます。道はしばらくは面する出入口もなく、ひたすら左側のコンクリートの壁と右側のフェンスに囲まれたまま続きます。やがて道はつきあたると右に曲がり、民家の軒先を通るようにして一般の道に出ます。延長約80m。
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左は元麻布テラスのコンクリート擁壁

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約80mにわたり幅約1mの道が続く

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やがてフェンスはなくなり、民家に直接面するようになる

 この奇妙な道は、地形的にみると谷底を通っており、実は谷の奥にある「がま池」から湧いた水が流れる水路なのです。水系の面からのこの道についての説明はこちらのサイトを御覧ください「東京の水 2005 Revisited 2015 Remaster Edition」。
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百軒店の位置(国土地理院「地理院地図」 標準地図と陰影起伏図・色別標高図を加工)

 このように狭い道ですが、ときおり人とすれ違うこともあります。決して無用なスペースでなく、地元の住民にとっては大切な通り道のようです。
 この道をでた先は宮村児童遊園の付近です。この一帯は築100年近い老朽木造低層建築物が並ぶ一帯ですが、それはまた別の機会に紹介しましょう。【吉】


Hidden Backstreet in Motoazabu, Tokyo

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There is a small intersection in Motoazabu, Minato-ku ,Tokyo. At the intersection, there is a gate and a road leading to the condominium "Motoazabu Terrace".
If you look closely behind the gateposts, you will find an entrance to a road that is less than one meter wide.

There is a difference in elevation of approximately 3 meters between this road and the Motoazabu Terrace site, and the road continues along the bottom of the high wall of the Motoazabu Terrace. For a while, the road is surrounded by a concrete wall on the left and a fence on the right, with no entrances or exits. Eventually, the path turns right at the end of the road, passing through between the houses to reach an ordinary road.

Topographically speaking, this strange path runs through the bottom of the small valley, and is actually a waterway through which water flows from the "Gama -Ike Pond" at the top of the valley.

2011.06.18

高輪1丁目井戸多発地帯

 「高輪1丁目細街路」で井戸について触れたが、その後同地域でさらに6か所井戸を発見した。高輪は井戸の多発地帯である。
 場所は桜田通り、清正公交差点裏の一帯。高輪の表通りとは雰囲気の違う木造密集地帯だ。
 それぞれ井戸まわりのしつらえが様々で面白い。そのうち井戸2、井戸3はポンプが真新しく、全く同じ型のポンプなのも興味をひく。(2009.12.31作成、2011.6.18更新)【吉】

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■井戸1:正源寺横。白く丸い蓋が特徴。

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■井戸2:洗い場のある井戸。台座はコンクリート製。民家の窓や植え込みとの並びが美しい。

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■井戸3:広い洗い場のある井戸。台座はコンクリート製。井戸2と同じポンプだ。洗い場のひびやそこから生えた雑草が趣深い。

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■井戸4:玄関横の井戸。木材を組んでポンプを固定している。ポンプの胴に「津田式」とある。

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■井戸5:玄関先にの植え込みの陰に残されていた廃ポンプ

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■井戸6:古寿老稲荷神社の手水舎にある廃井戸

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■井戸7:サンタイガーポンプ


View 高輪1丁目井戸多発地帯 in a larger map

2010.11.28

聖心女子学院裏謎の道

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入口。右側は朝日中学校グラウンド。

 港区白金4丁目、区立朝日中学校のグラウンドと、幸福の科学・教祖殿の間から細い道が延びている。アスファルト舗装はされておらず、敷石が並ぶ道がグラウンド沿いに伸び、やがてそれは聖心女子学院とその向かいの高い擁壁に挟まれ、森に覆われた谷道になり、やがて敷石さえない土の道となり、行き止まりになって唐突に終わる。突き当たりにはフェンス越しに上りの階段が見えるが、フェンスには錠がかかっており階段を上ることはできない。その区間約200m。
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高い擁壁沿いを森の中へ…

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敷石の道が続く

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やがて土の道に

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行き止まり

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フェンスの向こうの上り階段

 この道の中程には、三光坂上へ延びる道に繋がる階段があり、時折その階段を下りてきて中学校グラウンドの方へ抜ける人の姿を見かけるが、その階段より奥はどこへも繋がっておらず、道に面する家もなく、200m中奥の100mは事実上誰も利用しない。
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三光坂から謎の道に下りる階段

 訪れたのは折しも秋が深まる11月、地上には落ち葉が一面に積もり、ガサガサと枯れ葉の音を立てながら土の道を踏みしめるのは都心では滅多に味わえない感覚だ。
 この奇妙な道の正体は東京の河川に詳しい「東京の水」によれば古川の支流で、聖心女子学院内にかつてあった池から伸び天現寺あたりで古川に合流していたようだ。途中2か所に都下水道局の管理用地である旨の立て札が立っている。
 誰も利用しない奥の100mの区間には、一体年に何人の人が足を踏み入れるのだろうか。もし何かの事情で身を隠さなければならなくなった時、ここに隠れていれば恐らく見つかることはないだろう。
 場所はここ【吉】

2010.09.26

麻布宮村町

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 現元麻布2丁目、西町インターナショナルスクールのある台地と麻布高校の台地に挟まれた谷にある一角。旧麻布宮村町の一部にあたる。
 幅4mほどの街路を中心に、枝状に幅2mほどの道がわかれ、低層木造の住戸が密集している。隣接する宮村児童遊園からは国際色豊かな子供の声が響き、台地の上には高級マンションが立ち並ぶ中、ここだけは外界と隔絶された世界が広がっている。
 場所はここ。
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台地の上から本光寺の森が覆い被さる。

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遠方に見えるのは元麻布ヒルズ。

2010.08.01

芝浦高浜橋 夢広場シーパラダイス

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 芝浦の月見町、現芝浦四丁目の一体は在日韓国・朝鮮人が多く住んでいた一帯で、その一角、高浜橋の北詰にホルモン屋が集まった場所がある。木造2階建の「やまや」「はるみ」のほか、比較的新しい建物の「芝浦ホルモン」、そして少し前まで芝浦ホルモンの2階には「シーパラダイス」という店があった。
 現在シーパラダイスは閉店している様子だが、夜になればそのネオンが煌煌と点される。「夢広場 シーパラダイス」という飲食店のネーミングとしては若干ずれたセンス、"SEOUL TOKYO NEWYORK"という場違いに主張される国際性、そして何より旧海岸通りから見たときに、あたかも木造2階建の建物に大きなネオンが設置されているようなアンバランスさが、この一角の奇妙な魅力をつくりだしている。
場所はここ。

追記:いくつか「はるみ」について情報をいただいた。この店は、伊丹十三「タンポポ」で宮本信子の店に使われたということ。またドラマ「HERO」で木村拓哉と松たか子が食事をしたシーンに使われたとのこと。

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2010.06.27

東京都職員白金住宅跡地

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 東京都職員白金住宅は港区白金2丁目にある、元都の職員のための住宅だ。
 2008年11月14日の建設通信紙の記事によれば、同住宅は1969年に建設、老朽化に伴う改修が検討されたがアスベストの使用などを理由に2006年廃止が決定、2008年に居住者が退去し閉鎖された。
 同記事には2009年に解体に着手するのと並行して跡地の活用の方向性を探るとしているとしているが、2010年6月現在まだ解体は始まっていないようだ。(2019.5.3追記:現在は解体は完了し、2017年東京都は「新国際高校」の建設の検討に着手した。)
 なお2000年7月には母親が娘を刺しベランダから飛び降りるという無理心中が起きている。

 約2haの敷地内には、桜田通り沿いに中層の白金住宅第1、第2があり、中央及び奥にはそれぞれ高層の白金住宅第3、白金独身寮が聳えている。白金住宅第3はそのボリュームと屋上の階段状の形状から、周囲の風景の中で異彩を放っている。

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■案内図

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■桜田通りより白金住宅第1

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■桜田通りより白金住宅第2

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■白金住宅第3の屋上

 「したらば掲示板」のある書き込みには、かつての住宅内の様子が描写されていた。
「思い出すと夏のラジオ体操や盆踊り、幼児たちが遊ぶヴィニールプール、秋の運動会などいろんなのがあった。自転車置き場があり、車を止める駐車場はあったんだ。ピロティーには八百屋のトラック、靴修理のワゴン車が来たもんだ。冬には焼き芋の軽トラックが来たのを思い出す。販売のためのトラックが来たのは懐かしい。」
 敷地内の道路に立つと、その60年代らしく造成された風景の中で営まれた人々のくらしが見えてくるようだ。

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■敷地内の道路

 しかし住民が退去して2年、団地はそのまま残っているが現在は人気のないゴーストタウンと化している。建物の入り口にはベニアが貼られ、公園には雑草が生えている。空家であることを知った上で改めて公園から巨大な建物を振り返れば、その偉容は凄みのある不気味さをもって迫ってくるのだ。【吉】

 

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■荒れゆく公園

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■ベニアが打ち付けられた入口

2010.04.25

無人マンションと巨大モニター

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 港区の金杉橋近くに建つゴールドクレストのマンション「クレストプライムタワー芝」。平成19年に竣工したが、平成22年現在画像で見るように夜明かりがつく部屋はわずかだ。売主のゴールドクレストが売っていないのか、売れていないのか、いずれにせよ明かりのついていないマンションはやはり異様な眺めである。
 そして最近(H22年4月頃)、その向かいにあるロート製薬東京支社の屋上の看板が変わった。大きなモニタになったのだ。そしてそのモニタは昼はもちろん、夜も11時頃まで製品の宣伝や同ビル内にあるカフェの宣伝をしている。
 そのモニタはそばを通る首都高やJRに向けてあるのだろうが、角度が微妙に上記マンションの方に振れている。その結果が画像のとおり、マンションの一部を照らしだすことになっている。
 この一番明るい角部屋の窓からはどんな眺めが見えるのか。カーテンを開ければ窓いっぱいにモニタが広がっていたりしないか。夜部屋の電気を消しても明滅するモニタの光で明るかったりしないか。
 マンションとロート製薬の間で何らかの話し合いがなされたかどうかは知らないが、一度窓からの眺めを見てみたいものだ。【吉】

 

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