■大田区

2024.05.20

羽田:巨大看板の痕跡

 60年代の日本映画にはよく羽田空港が登場する。またいくつかの映画には、空港に隣接する海老取川沿いの、発着する飛行機に向けた巨大な英字の看板が写されている。「Kanebo」「AIWA」「CANON」「NATIONAL」「YASHICA」と国内企業の英字広告が並ぶ。「NEW HOPE」というのもミシンなどを製造していた「ニューホープ実業」という国内企業のようだ。

 これら巨大看板は海老取川沿いに面した民有地を利用して建てられており、巨大看板の陰には60年代の水辺沿いの民家の暮らしがおくられていた。河岸ぎりぎりに民家や工場が並び、それぞれに川に桟橋を突き出し舟で移動する、夜には看板のネオンが水面に映る、そんな様子が映画「喜劇 女は度胸」(1969)に描かれている。

Img_8096
Img_8099
Img_8100
「喜劇 女は度胸」(1969)

 宮田登文・横山宗一郎写真「ビジュアルブック 水辺の生活誌『空港のとなり町 羽田』」(岩波書店)には、1950年代から80年代の羽田の風景が記録されているが、58年の写真にはなかった看板が同じ場所とされる61年には林立しており、1958〜1961の間に急速に林立したようだ。

Scan-2
■海老取川沿い1958年 写真:横山宗一郎(前出書)
Scan-4
海老取川沿い1961年 写真:横山宗一郎(前出書)

 現在海老取川沿いにはほとんど巨大看板は残っていない。唯一穴守橋の上流に「ポンジュース」の看板が残っているのみだ。
 これは1978年成田空港の開港に伴いほとんどの国際線が成田に移転したこと、さらに2000年「東京国際空港沖合展開事業」により海老取川寄りのB滑走路が奥まった位置に移転したことで、この一帯が発着する飛行機から見えづらくなり、広告を掲示するメリットがなくなったためと推測する。前出書の1980年の写真では看板は「「アサヒビール」「ほのぼのレイク」「チチヤスヨーグルト」などカタカナの文字が目立つようになっており、これも1978年の国際線の成田移転をうけての変化だろう。
Map_20240518181201
■巨大看板群と滑走路の位置関係の変化 国土地理院空中写真 1966年、2019年を加工

しかし現在、かつての巨大看板の痕跡が残っている。民家の川側に、鉄骨で組んだ看板の枠組みが残っているのだ。
幅約8m、高さ約10m。L字の鉄骨をトラスに組んだ柱を3本建て、前面を鉄骨で水平につなぎ看板を掲示する面としている。民家は柱の間にすっぽり収まっている。1960年頃建てたものだとすれば、築60年(2024年現在)を経ており、鉄骨は赤く錆びている。しかしそこに、民家の庭に植えられたツル性の植物がからみ、巨大なトレリスのような様子になっている。訪れた時はちょうどジャスミンの花が咲き、香っていた。
P4301362
堤防沿いの道から
P4301382
正面から見上げる
P4301392
裏面
P4301536
弁天橋から
P4301539
対岸から

 偶然庭に出てこられた住民の方とお話ができた。お祖父様の頃に建てたものなので、何の看板だったかなど詳しいことはよくご存じないとのこと。だが昔は家の際まで水面がきていたことなどをお話いただいた。企業との間で地代のやりとりをしていたのかとか、借地権はまだ残っているのかとか、もっと聞いてみたいことはあったがあまりに立ち入った話で初対面の方に聞く話ではないのでやめた。
P4301365
鉄骨にからむツタ
P4301368
ジャスミンが咲いていた

【吉】

2010.09.26

山王小路飲食店街(地獄谷)

 JR大森駅西口には、池上通り沿いに延々と延びる商店街があるが、西口の北側、池上通りから数m下った谷底、池上通りと京浜東北線との間の幅約20mにすきまにこの飲食店街はある。
Map
 谷底に幅2.5mほどの道が約80m延び、その道の両側に焼鳥屋、居酒屋、小料理屋、スナック、バーが建ち並ぶ。池上通りとは両端と中程で階段でつながっているだけで外界からは隔絶された別世界だ。池上通りが坂になっているため階段の高低差は低い方では2m、高い方では7mほどもある。

P4293598

P4293602

P4293613

P4293617_1
■スナックや小料理屋 妙に背が低い街路灯

D5sdgz5uwaervg0
■低い方の階段のパノラマ写真 階段の上は池上通り。

P4293628
■高い方の階段 高低差約7m。

飲食店会が設置した共同便所や背の低い街路灯が小さく完結した異世界を演出している。

P4293619
■共同便所 「ここは公衆トイレではありません」と、あくまで飲食客用であることを強調している。

なお「地獄谷」という呼び名で呼ばれることもあるが、この呼び名の出典はよくわからない。個人的には2010年頃からこの呼び名を耳にするようになったが、いまだに地獄谷と記した地図も、文献も目にしたことがない。

 

2024.4.29追記①:山王小路飲食店街の開発
 2024年2月、東京都により「補助線街路第28号線(大森駅)」及び「大森駅西口広場」が事業認可された。
 これは大森駅前の池上通り約530mの区間を京浜東北線側に拡幅し、デッキをかけ西口広場をつくろうとするものである。山王小路飲食店街の階段部分は道路の拡幅部分にかかり、それ以外の部分も西口広場のデッキの下となり、少なくとも飲食店街は現在の姿のままではなくなることは確実である。
20240428-152923
(出典:東京都・大田区「道路整備計画のあらまし」2022年9月)

2024.4.29追記②:1956年の大森駅・山王小路飲食店街付近との比較
 以前鑑賞した映画「しあわせはどこに」(1956年、日活)で56年当時の大森駅から山王小路飲食店街にかけての様子が映っていた。当時の駅前はちょうど開業80周年にあたり、駅前に行灯などが並んでいる。
 映画のくわしい内容はこちら(東京ポチ袋 映画の感想文「しあわせはどこに」)に譲るが、主人公芦川いづみを水商売に売り飛ばそうとする伯父殿山泰司の魔手から守るため、葉山良二が自分の下宿に芦川をかくまう。この葉山の下宿が現在の山王小路飲食店街の一画なのだ。この映画に映っていた当時の大森の町並みと現在を比較してみよう。

Phtomap
■撮影地点

①山王小路飲食店街入口
 葉山良二の下宿はこの階段を下りた下にある。大家は階段横のタバコ屋の田中筆子。
011_20240428170501
1956年
012_20240428170601
2024年

②山王小路飲食店街入口階段下
葉山良二の下宿に向かう芦川いづみ。階段は現在の半分ほどの幅で、傾斜も急なようだ。
021_20240428171801
1956年
022
2024年

③大森駅前
駅前の店の並びをみると、左から書店、「たね屋」、「ビーコンコーヒー」「ジャーマンベーカリー」となっている。書店(町田書店)は現存しているが、たね屋より右側は「大森駅前ビル」になっている。
033
0311
1956年
032
2024年

④八景天祖神社入口階段
 池上通りをはさんで大森駅の向かい、八景天祖神社に向かう階段。
041
1956年
042
2024年

(2011.9.26作成 2019.5.3追記 2024.4.29追記)