高田馬場 西武新宿線擁壁下 不法占有建築物のうつりかわり
2025年6月、高田馬場の西武新宿線の擁壁にへばりつくように建てられた不法占有建物の解体が着手された(高田馬場経済新聞「西武鉄道が高田馬場駅前で不法占有建物解体工事 戦後からの風景に終止符」)。
土地所有者の西武鉄道は「詳細は分かりかねるが、戦時中、戦後の混乱期に建物が建てられた状態となった」と説明しているということだが、その分かりかねる部分を、過去の資料を掘り起こすことで少しでも明らかすることができないか、というのが今回の趣旨だ。
戦前に建物はなかったのか。本当に戦後増えたのか。戦後から現在までその数に変化はあったのかを、過去の住宅地図や火災保険特殊地図で調べた。できれば当時の写真があればよかったのだが、今のところこの場所が写った過去の写真は見つけることができなかった。
なおこの場所には別にとりあげた西武新宿線の下に清水川を通したトンネル「戸塚暗渠」もあるので多少そちらと内容がかぶるところがあるがご容赦いただきたい。
いきなり結論
以下収集した資料を並べて解説していくが、細かい事実関係に興味がない方のために結論だけ先に述べよう。
|
年代別に地図を示しながら解説していく。
1938(昭和13)年
1938(昭和13)年の火災保険特殊地図である。西武新宿線(当時は村山線)が仮設の高田馬場駅から図にある区間を通って現高田馬場駅まで延長したのが1928(昭和3)年なので、西武新宿線の擁壁建設後10年の姿である。
戦後の混乱期に建てられたと言われている現在の建物の場所にはすでに建物が建っており、「小ヤ(小屋)」と表記されている(黄色着色部分)。これらが土地の所有者である西武鉄道が建てたものか、すでに不法占有によって建てられていたものかは不明。
なお前面の道は現在と違い西武新宿線沿いにまっすぐ伸び「神高橋」に続いている。
小屋の端にはトンネルの表記があり、現在閉鎖されている戸塚暗渠が当時通路として機能していたことがうかがえる。
1954(昭和29)年
戦後9年めの状況である。擁壁下の建物は延び、神高橋まで続いている(黄色着色部分)。
建物の表記を神田川沿いから並べると「山田」「竹田染物」「のみや」「相原」「高橋」「守山」「武山三郎」「島村」「土地」「伊藤」「のみや」「ふくや のみや」「バー トロンバン」「はな」「すし」である。
最も神田川沿い寄りには水利をいかした染物屋があり、神田川寄り北半分は個人名が多く、1938年に「小屋」だった早稲田通り寄り南半分は「のみや」で一括表記されている。
早稲田通りに面した南端には「すし」の表記があり、これが現在まで続いている「幸寿司」の可能性もある(青色着彩部分)。
1969(昭和44)年
早稲田通り寄り南半分にも各店舗名が表記されている。「モガミ」「幸寿司」は今回解体となる前まで営業が続いていた(青色着彩部分)。
なおこの一帯の風景が「警視庁物語 遺留品なし」に登場している。公開年は1959年とこの地図より10年ほど前になるが、地図上の店名とよく対応している。
長田刑事(堀雄二)、渡辺刑事(須藤健)の二人が、タクシーが容疑者をおろしたダンス教室に向かうシーン。刑事を乗せたタクシーは早稲田通りをやってきてこの道へ入っていく。角に「幸寿司」がみえる。これに続くダンス教室のシーンはもう一本先の道で撮影している。
林刑事(花澤徳衛)、高津刑事(佐原広二)が結婚相談所を訪れるシーン。結婚相談所の背後に「戸塚歯科」「海の誉」「バー ゴールド」がみえる。それに続くシーンでは神高橋の上で会話する二人の背後に神田川、西武新宿線、山手線が見えている。
1973(昭和48)年
神田川寄り北半分の建物がなくなる。神田川沿いには現在も規模を縮小して残る高田馬場駅前公園ができる。それに伴い前面道路は神高橋に直結しなくなる(緑色着色部分)。
1985(昭和60)年
大きな変化なし。しかし駅前でもないのになぜ高田馬場駅前公園と名づけたか。
1998(平成10)年
大きな変化なし。「モガミ」が個人名になっているが一時期別の店舗になっていたのかどうかは不明。
2005(平成17)年
大きな変化なし。「モガミ」の店名が消えているが一時期別の店舗になっていたのかどうかは不明。
2015(平成27)年
2009年駅前公園の一部に戸塚特別出張所が完成したことにより、高田馬場駅前公園は大幅に縮小、一層駅前の名にそぐわない状態になった。「もがみ」が復活。
2024(令和6)年
2025(令和7)年6月15日
解体工事は2026年2月まで。それによって現在建物に半分隠されている戸塚暗渠があらわになり、多くの人の目にとまるようになるだろう。戸塚暗渠がどのような扱いになるか注目したい。【吉】